成果報告
2021年度
日本における芸術家団体へのクラウドファンディングと政策ロビイングの相互作用
- キングス・カレッジ・ロンドン文化・メディア・クリエイティブ産業研究科 博士後期課程
- 照井 敬生
2020年以降、新型コロナウイルスの流行を発端とした、芸術文化を取り巻く経済的・社会的環境の変化に伴い、芸術文化産業(クリエイティブ産業)の従事者によるクラウドファンディングの活用事例が広く見られるようになった。本研究の目的は、こうした芸術家および芸術文化団体によるクラウドファンディング活用の内実と意義を実証的に論じることである。クラウドファンディングは、単なる資金調達の一手法にとどまらず、芸術家による自身の活動に関する意義付けと発信、市民社会による各種芸術文化活動への評価と支援の表明のあらわれであり、芸術文化と社会の関係性を映す鏡と言える。従って、芸術文化産業におけるクラウドファンディングの活用と課題を研究することで、日本社会における芸術文化の価値・重要性に関する言説と社会通念およびそれが文化経済・文化政策に及ぼす影響について論じることが可能となる。本研究の手法として、クラウドファンディングに関心を示したもしくは実際に活用した芸術家と芸術団体に対するインタビュー調査・アンケート調査、クラウドファンディングに言及した公文書や一般メディアの分析、クラウドファンディング利用者に対するアンケート調査を組み合わせて実施した。
本研究によってもたらされた知見は多岐に渡るが、主要なものとしては以下が挙げられる。第一に、芸術家自身の職業倫理を明らかにし、それが寄付を募ることの忌避感、ひいてはクラウドファンディングへの懸念に繋がっていることを明らかにした。日本における寄付文化の欠如はしばしば指摘されるが、寄付を行う側のみならず、寄付を募る側の芸術家自身が、自分たちが受け取る金銭的な対価は成果物に対する正規の支払いによるべきであり、芸術家自身の構想や過程に対する応援の形をとるクラウドファンディングを「不純」「不健全」な活動として捉える見方があることが明らかになった。完成品への対価として金銭を受け取るべきと考える芸術家の職業倫理は、一般的な経済活動のそれと近く、芸術家の経済的状況や価値観を特別視する、従来の芸術振興論・文化政策論、およびそこから派生した新自由主義批判に回収されない価値観が示された。
第二に、こうした懸念や忌避感にかかわらず、クラウドファンディングには従来の文化政策や文化支援を補完する重要な役割があることが、クラウドファンディング実施団体への聞き取り調査から明らかになった。既存の公的助成の特色として、完了した事業に対する後払いでの支払いが主流であること、また申請段階から使途や計画の変更が困難であることがしばしば問題として指摘されてきた。こうした公的支援の制度設計を芸術家たちは行政による信頼の欠如の現れと捉えている。これに対して、クラウドファンディングはまさに市民から芸術家への未来の活動に対する信頼のあらわれであり、それゆえに先述した公的助成とは対照的な方針で運営されることが多い。すなわち、クラウドファンディングは将来的な事業に対する支援であることから、芸術家に対して資金立替による金銭的負担をおよぼすことがなく、使途や計画の変更に対しても極めて柔軟である。クラウドファンディングには継続性・安定性を欠き、資金調達額にも限度があるという欠点はあるものの、それゆえに公的助成とクラウドファンディングを組み合わせることは両者の欠点を補完しつつ、芸術家の活動を広げる有効な方策となりうる。
第三に、日本におけるクラウドファンディングの隆盛は単なる資金調達の一手段ではなく、芸術文化を取り巻く政治的・社会的環境に変化をもたらしうることが明らかになった。コロナ危機以降のクラウドファンディング実施者は、常に芸術文化の社会的意義を論じ、社会に示していくことを責任として引き受けてきた。それゆえに彼らは芸術文化の正統性に関する議論を進展させてきた。またクラウドファンディングを個々人ではなく業界団体で集合的に実施することで先述した心理的負担を解消しつつ、政策ロビイングや共同声明につなげる新たな取り組みが生じている。これらの事例はクラウドファンディングが社会における芸術文化の価値を明らかにし、政策形成に寄与しうる重要な運動であることを示している。
芸術文化に対する社会的な価値付けおよび、公的助成のあり方など政治的・政策的な文脈と、クラウドファンディングが密接に結びついていることを踏まえた上で、今後の展望としては、国際比較および芸術文化のジャンルごとの比較を通じて議論を精緻化させていくことが望ましい。現段階では、英国およびイタリアを拠点にして舞台芸術を専門とする研究者との共同研究を行っており、この成果によって、クラウドファンディングという視点から文化政策と文化経済をとりまく信念と正統性に関する議論を深めることを目指している。
2023年5月
現職:西安交通リヴァプール大学 専任講師