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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2021年度

曖昧な疾患概念が用いられる社会的背景とは何か?─日本における発達障害を事例に

エクセター大学社会学・哲学・人類学学部 博士課程
篠宮 紗和子

研究の動機・目的:「曖昧な」とは?
 日本では2000年代頃から、「発達障害」という言葉が広く用いられるようになった。発達障害とは、厳密には医学的な用語ではなく、日本で用いられる行政用語であり、2004年に制定された発達障害者支援法第一章第二条では以下のように定義されている:「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。」
 医学にも発達障害に類する概念は存在するが、完全に一致する概念ではない。大きな違いは、医学的な用語は知的障害を含み、行政用語に端を発する発達障害概念は知的障害のないグループを主に指す点である。このような概念はこの言葉が広まった当時は日本語圏以外ではほとんど用いられておらず、ローカル性の高い概念である。そこで本研究は、なぜ医学にも海外にも由来しない概念が必要とされ流布したのかについて明らかにすることを目的とした。

方法・データ
 このような概念が使われるようになった経緯を時系列順に調べるため、2種のデータを入手した。一つは、国会図書館および大学図書館で入手可能な文書資料であり、1952年~2000年までの国会図書館サーチで書誌タイトルに「発達障害」もしくは「自閉」を含むものを対象とした。二つ目は、発達障害界隈(主に自閉症)に長く携わってきた医療・心理専門職・教育関係者・親の会関係者等へのインタビューデータであり、インタビューは歴史資料で得た知識をもとに、時期別の雰囲気や考え方を尋ねた。

これまでの進捗と得られた知見
 インタビューデータは取得途中であるが、文書資料からこれまで得られた知見をまとめる。医学や福祉では身体的な発達の遅れや知的発達の遅れを指して幅広く発達障害という言葉が使われてきた。特に福祉では「精神薄弱」(昔の知的障害)という言葉の負の意味を払拭し「発達する」というポジティブな意味合いを込めて1980年頃に積極的に流布した。発達障害をほぼ知的障害と同義で使用している文献も1980年代までは多数存在した。
 行政概念としての現行の発達障害概念に影響を与える、「知的障害の有無」という区分が生まれたのは1990年代の学習障害児の問題化に端を発する。学習障害は「知的障害がないのに教育上の困難がある」という点が強調され、新たな形の障害として取り上げられた。1990年代中盤以降は自閉症やADHDも同様に知的障害のない新たな障害群として学習障害と一括して論じられることが増えた。このような日本の教育現場の問題意識に沿う概念は、自閉症やADHDといった医学的な概念を使うよりも有用であったと思われる。

専門分野(医療社会学)における新規性
 学問的新規性は二点ある。第一に、ある疾患概念の流布や特定の疾患の増加を説明する際に最もよく使われる医療化論を乗り越える点である。医療化とは、これまで非医療的だった問題が医療の管轄権の拡大により医療的な問題になることを意味する。この理論は、発達障害を持つ人々が「本当に」増えたのかという問いを回避して社会分析を行う上で有用だが、発達障害のようにそもそも医療的なのかどうかが不明な概念をこれまで扱ってこなかった。実際には、行政概念である発達障害概念がその下位分類である自閉症やADHD(これらは医学概念)の普及に大きく貢献したことから、医療/非医療という区分を問わず人々を何らかの枠組みのもとで分類し理解する営み一般についての考察が必要であり、本研究はそのような試みの一つとなる。本研究のように教育や福祉といった医療以外の領域の能動的な役割を分析する点も、医療化論の盲点に目を向けるものである。発達障害は医療が提供できる治療法がほとんどないため、教育や福祉のほうが社会変動を牽引してきた。そのことを強調し分析するのが本研究の新規性である。

今後の課題・見通し
 このように経験的な成果を報告してはいるものの、本研究は萌芽的であるために理論的な検討に多くの時間を費やした。その結果、実際のところ研究の方向性を大きく変更する必要を感じたのも事実であり、現在はその点に着手しつつある。冒頭にて発達障害概念は日本でしか流布していないといった日本固有の事情についていくつか言及したものの、当然ながら、日本で起きていることは海外からの知識の輸入・海外のトレンドの流布と日本固有の事情の相互作用によって成り立っている。結局のところ、その相互作用がどのようにして現在の状況を作っていたかということを明らかにしない限り、日本という一つの国について知ることもできない。そこで、現在は研究を更に進展させ、取得データは大きく変えないものの、どのように発達障害関係者が海外の知識を取り入れながら日本の状況を作り上げてきたかという方向性に舵を切っている。

2023年5月