成果報告
2021年度
「周縁」から見た文明形成論:アンデス文明形成期後期の事例
- 東京大学大学院人文社会系研究科 助教
- 金崎 由布子
本研究の目的は、文明形成論において主要な役割を果たしてきた「中心・周縁」の枠組みを見直し、固有の歴史を持つ多数の社会の織りなす複雑な軌跡として文明形成プロセスを再考することである。文明研究において、ある地域を「中心」とし、その他の地域を「周縁」とみなして文明形成を捉えようとする議論が普遍的に見られる。しかしこのような見方は、「周縁」とされた地域独自の歴史が文明形成に果たした役割を過小評価し、その複雑な歴史を単一の視点から描かれた単純な物語に収斂させてしまう。特に、歴史叙述の土台となる編年そのものが、「中心」と見なされてきた地域の状況に合わせて設定されてきたことにより、各地の社会変化のタイミングの異同が捨象され、「中心」の動きに付随して変化する「周縁」という単純化された物語の形成につながってきたと考えられる。このような問題意識のもと、本研究ではアンデス文明形成期を事例として、「周縁」とされてきた地域独自の文化的・社会的変化の時間性を明らかにし、新たな議論の基盤を提示することを目的として研究を行った。
アンデス文明では、紀元前一千年頃から、壮麗な神殿建築や精巧な工芸品が汎地域的に広がる「チャビン現象」と呼ばれる現象が生じることが知られてきた。本研究で扱うワヤガ川上流域は、この現象の中心的存在とされてきたチャビン・デ・ワンタル遺跡と距離が近く、当該時期にはその強い影響下にあったと考えられている。当地域では、2016年以降、日本人研究者による調査プロジェクト(ワヌコ盆地)が行われ、2021年には筆者らによる遺跡分布調査(ワヤガ川支流モンソン川流域)が実施された。本研究では、これらの先行調査および2022年に実施した発掘調査で得られた資料を分析し、当地域の形成期の編年を精緻化した。
調査の結果、次の2点の成果が得られた。一つ目は、ワヌコ盆地の「チャビン期」が少なくとも2時期に細分されることが明らかになったことである。この前半期は、精巧な黒色磨研土器をはじめとするチャビン・デ・ワンタル遺跡とよく似た物質文化が見られた。一方後半期になると、前時期の特徴を部分的に踏襲しつつ、より在地的なスタイルの文化が見られるようになった。
二つ目は、モンソン川流域において、紀元前一千年紀の新たな考古学的文化が発見されたことである。筆者らは当地域に位置するチャウピヤク遺跡で発掘調査を行なっており、得られた土器を分析した。その結果、「チャビン期」前後に相当する2つの時期の土器の様相が明らかになった。最初の時期では、無文の壺類の土器に関しては、前一千年頃にアンデス地域で広くみられる土器が当地域でもみられた。一方、いわゆる「チャビン式」と呼ばれる、黒色磨研の表面に圏点文を施した土器はここでは見られず、鉢類などの有文土器ではより熱帯低地色の強いローカルなスタイルが卓越していた。また、次の時期になると、ワヌコ盆地やフニン高原などの山岳地域に分布する、サハラパタクと呼ばれるスタイルの土器と、前時期から存在する熱帯低地的な土器とが共存することが明らかになった。
これらの調査成果は、「チャビン現象」下における「周縁」地域の様相を理解する上で非常に示唆的なものである。ワヌコ盆地とモンソン川流域において、「チャビン期」における外部からの物質文化の受容の様相が異なっていることは、当該時期における「周縁」とされた地域の多様なあり方を示している。ワヌコ盆地では、前二千年紀にアンデス的な土器とアマゾン的な土器とが融合したような土器文化が発達するが、当時期になると当地域の精製土器は「チャビン式」に統一される。一方同時期のモンソン川流域では、建築スタイルではチャビン・デ・ワンタルの影響を受けたと考えられるものの、土器に関してはそのような傾向は見られず、ワヌコ盆地とは状況が大きく異なっている。このことは、「チャビン期」においてチャビン・デ・ワンタル遺跡が周辺地域に与えた影響は、それらの地域に同一の文化様式の一様な受容を強要するといったものではなく、それぞれの地域において主体的な選択のもとに文化の受容がなされていた可能性を強く示唆している。
また、サハラパタク土器の広範な分布が確認されたことは、紀元前一千年紀において、当地域では「チャビン文化圏」とは別種の地域間関係が成立していたことを示すものである。サハラパタク土器は、チャビン式土器の要素の一部を引き継ぎつつも、器形や文様において熱帯的な特徴があることが指摘されてきた。本研究において、サハラパタク土器と熱帯式土器の共伴関係が示されたことは、この土器の成立に、ワヌコ盆地・フニン高原を含む山岳地域と、モンソン川流域を含む東斜面・熱帯低地の交流が関わっていたことを示唆している。
以上のように本研究では、「チャビン期」において「周縁」とされてきた地域の主体的な活動の痕跡が明らかになった。それぞれの地域の物質文化の様相は、「中心地」としてのチャビン・デ・ワンタル遺跡と必ずしも連動して変化したわけではなく、その変化の過程にはそれぞれの地域の内情や、他地域との関係が大きく関わっていた。このように本研究の成果は、「周縁」独自の動態に焦点を当てることで、従来の「中心・周縁」の見方を再考することが可能になることを実証的に示した点で重要である。
2023年5月
現職:東京大学総合研究博物館 助教