成果報告
2021年度
医師数の地域間格差の歴史経済分析─戦前日本の医師名簿を活用した実証研究─
- ウプサラ大学経済学部 助教授
- 奥山 陽子
研究の目的と意義
本プロジェクトは、戦前日本で編まれていた医師名簿『昭和17年日本医籍録』をテキストデータ化し、医師の地理的偏在の起こりと再生産の歴史的過程について、定量分析を目指すものである。
本プロジェクトはまた、現存する名簿史料を活用することで実証経済史の発展に寄与することも目指している。欧米諸国とは対照的に戦前日本に関しては、国勢調査の個票が現存しないなど、政府統計個票データの不在が実証経済史研究発展の阻害となっている。そのような中で、私的に編まれた名簿史料の活用は、その困難を克服する一途となる可能性を秘める。例えば本研究が対象とする『昭和17年日本医籍録』は、医師免許をもつ全国の全医師について、姓名や診療科、現住所等、出版年時点での同時代的な情報のみならず、医師の本籍や、学位取得大学、そして居住地の遍歴等が記載されている。つまり遡及調査(retrospective survey)としての性質を持つデータであり、医師らを時間的および空間的に追跡することが可能なユニークな定量的歴史史料である。デジタルヒューマニティーズの地平を広げることにもつながる。
これまでの成果
今年度は、本研究の柱となる名簿史料『昭和17年日本医籍録』のテキストデータ化とクリーニングを完了させた。このデータセットには氏名、医学博士号取得有無、現住所、診療科、病院名、生年月日、卒業大学または医学専門学校、卒業年、医師登録番号、卒業後の勤務先歴、趣味が含まれる。加えて、大学・医学専門学校の卒業ではなく試験及第により医師免許を取得した者、開業医ではなく勤務医である者の判別も可能だ。医師の性別については医籍録に記載がないため、出身医学校が女子医学専門学校であった者を女性と定義した。
クリーニング後のデータセットに基づき記述統計を概観すると、次の通りである。掲載者合計は重複掲載者を除くと4万4605名。医学博士号を持つものは6065名。大学・医学専門学校を出ず、試験及第で医師免許を取得した者は2895名。女性医師は2269名で、全体の6.3%に当たる。ただし女子医学専門学校卒を鍵に算出した女性医師比率は、実際の比率の下限と解釈するべきである。今後、氏名を用いて統計的に性別判定する方向性も検討している。
さらに『昭和17年日本医籍録』の、歴史的定量史料の信頼性を評価し、データの代表性を検証するため、医籍録収録医師数と、内務省衛生統計に掲載されている府県別医師数と比較した。全国平均では、医籍録収録医師数は内務省衛生統計による医師数の約7割5分に相当する。私的に編まれた名簿としては、カバレッジ率が高いといえるだろう。ただし、都道府県間でカバレッジ率にばらつきがあった。また、免許取得方法別では、試験及第者のカバレッジ率が大学・医学専門学校卒業のものに比べて低い。これらは、名簿編纂の経緯と関連があると考えられる。今後精査が必要である。
そして、クリーニングが完了したデータセットを用い、1942年当時の人口10万人当たり医師数を調べると、西日本に多く、東日本に少ない、という「西高東低」のパターンが確認された。また、医師の本籍地から学位取得大学、そして1942年時点での現住所の居住履歴を分析した。すると医師の本籍地の分布にはそれほど偏りがないが、医学校進学を機に大きな地域移動が起こり、卒業後は出身地に戻らずに進学先の地域で開業する者の割合が高いことが明らかになった。これにより、医学校の立地とその地域の医師供給量とには、当時から密接な関係があったことがうかがえる。西高東低の医師分布は、今日の日本でもなおみられる現象であるが、その源は明治~昭和初期の医学教育政策によって作り出された可能性があるという仮説がたてられる。こうした知見は、名簿情報があって初めて得られるものであろう。
今後の見通し
今後は、明治~昭和初期の医学教育政策と、西高東低の医師分布の誕生に、統計的な因果関係があったかどうかを検証する。そのために戦前に存在した医学校の立地(緯度・経度)データを収集・構築している。またその先には、後年の医師名簿をデジタル化し、『昭和17年日本医籍録』と接合することで、戦前の医師偏在が、現在に至るまで再生産されるメカニズムも明らかにしたいと考えている。
2023年5月