成果報告
2021年度
汚穢の倫理:ケガレの社会的・環境的次元、および倫理の身体的・日常的次元
- 神戸大学大学院人文学研究科 准教授
- 酒井 朋子
本研究は、「きたない」「おぞましい」という感覚や忌避行動を精査することを通じ、倫理の新しい領域に光を当てることをめざすものである。メンバーは人類学、環境学、倫理学などを専門とする。「汚穢の倫理」研究会自体の活動は2021年3月に開始し、2024年度末まで3年間の研究期間を予定している。2021年8月〜2022年7月の助成期間には書評研究会を3回、メンバーが自身の日常や生活史における「きたない」「おぞましい」の感覚・体験を掘り下げるワークショップを1回開催した。また本助成による大きな成果は研究会ウェブサイトの開設である。詳細な研究会レポートを日本語・英語で作成し公開するとともに、素描集(エッセイ集)のオンライン連載を開始した。各4000字-12,000字からなるエッセイはメンバーや研究会ゲストによって執筆され、8本が公開されている(2023年3月までにさらに6本の執筆内諾済)。これらエッセイをまとめた書籍を2023年半ばまでに出版できるよう、現在、準備と検討を進めている。
本研究の重要な特徴は、1)日常の身体的な経験への着目、2)道徳的きたなさと身体的・物理的きたなさの関係を問おうとしていること、以上2点である。これまでの汚穢や清潔/不潔の議論においては、死の象徴体系を検討するケガレ論や、近代市民社会や国民国家の形成過程における「清潔な主体」構築を論じる歴史社会学が主流だったが、本研究はそれらの研究から多くを学びつつ、異なるアプローチをとっている。環境史や科学史、美学や現象学における「吐き気」にまつわる議論も参照しながら、家のなかの虫、腐敗臭・発酵臭、雑草、だらしなさなどにまつわる日常的な感覚に注目することで、本研究では以下の事柄が見えてきた。すなわち、心身を侵害するかもしれないものに驚き警戒する反応や、生活空間や飲食物を分類・区分したり自身の身体や装いを整え「律する」営みは、人間の生に不可欠である。と同時に、その忌避行動は容易に排除の暴力となりえるものであり、数ある清潔さの基準のうちどれを重視し評価するかという部分に権力がかかわっている。人はこれらの二極のあいだを、文脈に応じ、目の前にいる他者とのかかわりのなかで揺れ動く。もちろん、自身の心身をいちじるしく傷つける相手とともに生きることはできない。しかし、当初は忌避感をおぼえたものと長期にかかわり、たがいのリズムを知り、距離を調整し、時には自分をゆだねていくような関係のなかには、たしかな可能性がある。
身体と生活空間を律することをめぐる考察は第二の着目点ともつながる。たとえば卑劣さや不誠実さなどの行為や人格に「きたない」の語彙が用いられるのは、社会規律であれ各人が通す「筋」であれ、「自身を律していない」状態にかかわるからとも考えられる。しかし、規律を乱すものを徹底的に排除しようとする潔癖さは、新しい関係性の生成を潰し、生と対立する危険をはらむのである。
本研究の日常性へのアプローチは、けして社会的排除や構造的差別と別の領域を扱うものではない。多くの人が生きる日常は一般に信じられているような安定したものではなく、あやういバランスの上にかろうじて成り立っている。研究会にて取り上げた米国先住民の地理的・社会的な排外と環境正義、あるいは屠畜や食肉産業の生活の場からの隔離のような問題からもうかがえるように、それは排除、差別、暴力の構造と絡み合っており、社会関係上の危機、あるいは災害や政治上の脅威と隣り合わせのものである。その絡み合いを、「おぞましさ」や「汚穢」ならではの視点から、より明晰に・具体的に示すことが、今後の課題として残されている。
2022年8月
現職:京都大学人文科学研究所准教授