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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2021年度

南方マンダラと生物多様性―魚つき林の理を科学する―

大阪大学接合科学研究所 特任教授
大原 智

1.研究目的
 南方熊楠の独自の世界観として知られる“南方マンダラ”は、自然は“理(すじみち)”と呼ばれるさまざまな因果関係(ライン)が交錯して形成されていることを表現したものと理解されている。熊楠がこのマンダラを描いた根底には熊野の森の中で体感した「諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し」があるに違いない。熊楠は現在の生態系(エコシステム)や生物多様性の概念を理解していたと思われる。本研究では南方マンダラを最先端の科学により追及する。具体的には、熊楠が着目していた“魚つき林の理”を“鉄の物質循環”の視点から明らかにする。

2.実験結果と考察
 酸化鉄の緻密焼結体ペレットサンプル(写真1)を自然林(例えば和泉葛城山のブナ原生林:写真2)や植林地等の土壌に一定期間埋設し、酸化鉄の生物風化を評価することで、森から海への鉄分の供給量(=魚つき林の効果)の定量的解析を試みた。生物風化とは土壌動物(例えばササラダニ:写真3)や微生物が有機物を分解する際に生じる酸が鉱物を溶かす現象である。写真4はブナ原生林(写真2)の土壌に、写真5は原生林の周辺にあるスギ植林地(人工林)の土壌に、それぞれ約1ケ月埋設したサンプルの高分解能電子顕微鏡写真である。表面の凹凸状態(ザラザラした感じ)がブナ原生林の方が大きく、原生林の方が植林地(人工林)よりも生物風化が進行していることが示唆された。また、ブナ原生林とスギ植林地(人工林)の生物多様性をササラダニ(写真3)の種の数で評価した結果、原生林は67種、植林地(人工林)は28種であり、原生林の方が優れていることが分かった。以上により、原生林の土壌の持つ優れた生物風化機能と豊かな生物多様性が実験的に確認できた。
 南方熊楠は神社合祀反対に際し「森を経済の対象としてとらえるようになれば、国の山川は荒廃し悲惨な災害を招く」と強く訴えていた。現在の日本は熊楠が予言した理(すじみち)通りの悲惨な土砂崩れや洪水等に見舞われ続けている。この最大の原因は林野庁が戦後に実施した拡大造林(現在も継続中)と考えられる。林野庁によると現在、日本の国土の約70%が森林らしいが、その約70%がスギ・ヒノキ等の植林である。つまり国土の約半分が人工林なのである。本研究は自然林の有する優れた物質循環、生物多様性を実証し、自然林と植林(=人工林)の違いを科学的に明確にするものでもある。
 また作家の開高健氏は約50年前に「もう日本の渓谷では水はただ岩にあたって砕けるだけである。その淵かげから跳躍する貪慾でピチピチした、鮮烈で息のつまりそうな生体反応を川は失ってしまった」と書いている。本研究は日本の川に生体反応を取り戻すための研究でもある。
 本研究はSDGs(Sustainable Development Goals)の以下3項目に貢献できる。


3.今後の展開
 “萃点”は多くの因果が集まる重要ポイントで、南方マンダラを読み解くキーワードの一つである。本研究者はごく最近、南方マンダラに関して時間要素を組み入れた動的視点(同期しながら萃点に集約)から考察した結果、萃点は進化における“種の収束”と考えられることに気付いた。さらに進化(種)の収束は複雑系の科学における自己組織化(=無償の秩序)と考えられ、この“無償の秩序”こそ正に熊楠が追い求めた“縁”の本質と思われる。今後は南方マンダラを生物多様性に加え、進化や複雑系の科学の観点からも追及する。

2022年7月