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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2021年度

生きられる〈音〉としての都市―視覚障害者からみた都市の可能性を探る実践的研究―

東海大学国際文化学部 講師
植田 俊

1.研究目的
 本研究の目的は、都市が「視覚(=見えること)」を前提として構成されてきたことを反省し、目の見えない視覚障害者の人々の生活の立場、すなわち〈音〉として捉え直すことである。この目的達成のための手段として、本研究では、全盲のカメラマンによる「撮る」、全盲のギタリストによる「聴き、奏でる」、全盲の教育者による「教える」、そして生活者としての視覚障害当事者自身による「生きられる」ことによって都市を描き出すことを試みてきた。

2.研究成果
2-1.研究上半期
 先天全盲2名、中途全盲2名(弱視→全盲、晴眼→全盲、各1名ずつ)、中途弱視1名(晴眼→弱視)の計5名の研究協力者との踏査・討議・考察を行った。その成果として、視覚障害者は「生活の〈テリトリー〉」を持っていること、それは、①都市における建物の場所・位置や道路の敷かれ方、双方の関係といった空間配置に関する具体的なイメージや知識としてもたれる「認識テリトリー」と、②実際に自分の力で行動できる範囲としての「行動テリトリー」に分けて理解することが可能であること、またこのテリトリー構成は生活実態の変化に伴って大きく変化する動的側面をもっており、そこには○ア生活に必要な場所やルートに関する情報としての「生活記憶」と、○イ生活上繰り替えされる頻度が少なく行動のその場限りの意味や重要性をもつ情報を「現場記憶」の2つの記憶が関わっていることが明らかとなった。生活実態に強く規定された視覚障害当事者の都市の捉え方の一端が解明されたといえる。

2-2.研究下半期
 2022年2月以降も、上半期同様、都市内の実踏調査を継続するとともに、ギタリストや写真家も伴った調査を実施した。また、視覚支援学校の児童・生徒とのワークショップがコロナ禍への対応のために実現することが叶わなくなった代わりに、都市で生活する視覚障害当事者に訓練を施し、都市生活の「見取り図」を与える歩行訓練士への聞き取り調査と実際の訓練現場の観察調査を実施した。その結果、新たに以下の知見を得た。

〈都市のコード〉
 都市を表現する音楽作品を制作するために、都市の音の採集にギタリストと取り組んだ際に発見したのが、テリトリーを構築・認識し実際に行動する際のヒント・目印になる場所の表徴には、当事者独自に感知しているある一定のパターンがあることである。例えば、自宅から勤務先に向かう際に必ず通過する交差点に差し掛かった際、交差点に対して自分がどの位置に立っていたりどの方向を向いて接近したり離れていたりするのかを認識するのに、車が走る音、音響信号機から聞こえてくる音の大きさや種類、自分の周囲から届く反響音、歩道路面の凹凸や壁の存在・位置・形状といった物的構造物から得られる情報等を組み合わせて理解していた。同じ交差点でも、東西南北どの方向から接近するかによって、また接近する時間や日によって、聞こえてくる音も物的情報も大きく変化するのだが、視覚障害当事者たちは同じ交差点であることやそこにおける自分の位置などを理解できていた。
 全盲のギタリストはそれを、「場所を和音(コード)のように認識している」と表現する。和音(コード)とは楽曲を構成する際にもちいられる、高さが異なる複数の音が組み合わさった響きをもつパターンのことである。この表現が意味をもつのは、生活上新たに繰り返し通う必要が生じた際(=生活のテリトリーの拡大、新たな生活記憶の構築)、その場所までのルートを理解する上で、「あの交差点と似ている/異なる」というようにルート上の表徴を即座に捉えるための有効な基準として働くからである。また、初めて訪れる場所でも「あの場所に似ている」と分かることで空間把握がよりよく達成できるのである。
 ただし、この「都市のコード」は、調査協力者との共同調査から、視覚障害当事者ごとに異なる可能性が示唆された。音を重視する人、足の裏から伝わる感覚を重視する人、白杖から伝わる物的情報を重視する人など、当事者ごとに個々別々のコードが構成され、それを元に各々の生活が構成されていると考えられるのである。

〈都市の見取り図としての「コード進行」〉
 歩道、交差点、バス停、電車駅の改札口・乗り場、コンビニなど、行動の基点となるルート上の目印や行動の目的地となる場所を捉えて認識するための表徴が上記「都市のコード」ならば、それらをつなぎあわせて出来上がる生活のテリトリーは、コードからコードへの移行の連鎖すなわち、音楽的に表現するならば「コード進行」と言い表せる。視覚障害当事者は、自身の生活上の必要性に応じていくつもストックしているコード進行のパターンと実際に聞こえてくる音や物的情報とを重ね合わせて確かめながら行動(=生活)を達成していることが明らかとなった。自らのこれまでの経験値や認知力のみで未踏の場所に赴くことができない視覚障害当事者が、このコードとその組み合わせとしてのコード進行(=都市の見取り図)を得る上で欠かせないのが、歩行訓練士との歩行訓練である。視覚障害当事者が依頼して歩行訓練は実現する。到達したい目的地やそこで達成したい行動を視覚障害当事者があらかじめ想定し、事前に自ら計画したルートを実際に移動しながら、目印となる表徴(=コードの内容・特徴・事故発生リスク等の注意点)やその出現パターン(=コード進行)を協働で確認していく。この協働作業が多くて2回程度繰り返されて、単独での移動へと移行していく。この訓練が少ない回数でも完了するのは、新規ルートであっても既知のルート上のコードを援用して理解できるからであり、そうしながら独力で実践することが何よりも効果的だからだという。既存のストックを活用したり組み替えたりすることによって、また実地で即座に活用することによって、視覚障害当事者は新たな都市の見取り図を手に入れられるのである。

〈関係生成の方法としての「写真」〉
 よって、この都市の見取り図としての「コード進行」は、当事者の個々の生活に規定されるので大変個性をもって現れる。同じ場所でも、生活の異なる当時者間で表徴の捉え方が異なったり、理解しやすい得意な場所や捉えにくい苦手な場所というように理解に差が生じたりしている。視覚障害当事者の都市を捉える方法論には共通点があっても、彼らが捉える都市のイメージには多様性が生じるのである。それをより知ることになったのは、写真家と一緒に行った実踏調査と撮影された写真についての意見交換の際であった。
 写真の収め方(被写体に向かってカメラをむけてシャッターを押す)も、収められた写真の内容(決まった画角範囲内に被写体が収まる)も、我々晴眼者が行う写真撮影と何ら変わりはない。しかし、写真の場所の捉え方やそれを説明する方法に大きな違いが現れた。「ここは他と違って涼しくて空気が軽く感じた場所だった」「直前に感じた大きなかたまりの風がこの場所に移動したら小さくバラバラになっていた」「音の動きが速い場所」「めまぐるしく音が動いて入れ替わって落ち着かない場所」というように、である。
 都市の一断片が収められた1枚の写真から引き出される、都市のコードを構成する表徴の多様性や場所の解釈や捉え方をめぐる多様な語りが意味するのは、都市をめぐって共約可能な画を見出したり構築したりすることの困難性である。一方で、個々の当事者ごとに捉え方が異なることが次々と明らかになる過程は、非常に「面白い」経験でもあった。「ここ以外の場所ならどんな解釈があるのか」という興味が自然と湧出するのである。「唯一の解釈」を見出すことができないからこそ、当事者同士の新たな関係を生成する可能性がある。また、当事者による捉え方を健常者が知れることで、当事者に必要な支援のあり方や協働関係の構築可能性が高まることになる。被写体を収めた「作品」としてよりも、新たな関係を生成する力をもつ「方法」として、「写真」に意義を見いだすことができるのである。

3.今後の展開
 本研究を通じて得られた成果を学術的・実践的に発表していくこと、また成果を踏まえて新たに浮上した課題を探求し続けていくことが今後の課題となる。都市のコードの構成にどのような要素が含まれるかをより詳細に調べていくことで、「視覚障害当事者の生活の場としての都市」計画構想に示唆を与えることができるだろう。また、都市内で採集した音を構成した楽曲や撮り溜めた写真を活用したソーシャルビューイングのワークショップを実践していくことによって、視覚障害当事者同士の、また当事者と健常者との新たな関係構築を図っていくことができるだろう。切り口としての〈音〉という視座をさらに洗練化させ多様な領域へと拡張していくことによって、都市の理解とともに視覚障害の理解を深化させていきたいと思う。

2022年9月