サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > 「道理」と「風俗」:水戸学者と文明論者の論争における慣習と文明の問題

研究助成

成果報告

外国人若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(サントリーフェローシップ)

2021年度

「道理」と「風俗」:水戸学者と文明論者の論争における慣習と文明の問題

東京大学大学院法学政治学研究科 博士課程
常 瀟琳

 【研究の動機】新型コロナウイルスの流行、国際政治の変動など、近年の世界的な難局に直面し、生存の危機、異質な文明や思考様式の衝突などの意味をはじめて実感した申請者は、文明の普遍性と特殊性の問題、さらに、人々が時代の変動の中で、不安な感情をいかに乗り越えて、他者を理解し、そして変容しつつある社会をいかに理論的に説明して秩序づけるのかという問題に関心を持つようになった。そして、同じく世界の大変動に直面した19世紀日本の知識人たちが西洋思想と遭遇した際、当初身につけていた徳川時代の儒学の人間観・秩序観・世界認識から出発して、やがて、拡大された世界と新たな日本国家についての認識を獲得するに至るまで、いかなる思索を経たかについて研究しはじめた。
 【意義と目的】明治日本が文明開化や立憲主義の国民国家形成に向かっていくという目的論的な思想の発展史ではなく、19世紀の知識人たちが、先人たちの思想的蓄積を継承し、それに基づいて西洋文明を理解したり、抵抗したり、拒否したりしたという思想状況を解明するために、申請者は、徳川末期から明治三十年代まで活躍した水戸学者と文明論者という両陣営の思想家たちの論争の系譜をたどり、それぞれの政治思想史上の意義を明らかにしようと試みた。こうした両極的な視点の形成、世代間の思想的発展、そして論争を通じた双方向的な思想的影響関係を解明するために、水戸学者としては会沢正志斎とその門下生である内藤耻叟、文明論者としては中村正直と福沢諭吉という異なる世代の研究対象をとりあげた。世代と陣営が異なる上述の思想家たちの間で論争が成立しえたのは、西洋の「文明国」のモデルに従うべきか、それとも日本独自の文化を重視すべきかという思想的課題、および「道理」「風俗」などの分析概念が共通していたからである。普遍性を有する「道」もしくは「道理」と、地域と時代によって異なり特殊性を有する「風俗」という概念を二本軸として立てられたそれぞれの世界像、国家像および人間像がいかなるものなのか、この問題を解明するのが、本研究の目的である。
 【研究成果や研究で得られた知見】①本研究はまず水戸学者の会沢正志斎の思想に注目した。正志斎は、儒学における普遍的な「道」という概念を再考し、それが「天」によって保障される自然性と普遍性を有するだけでなく、その実現には、統治者と民衆という「人」の参与も必要であるという側面を強調して、「天人之道」という概念を好んで用いた。人間、とくに「衆人」の一致によって実現する優れた「天人之道」や、厚い「風土人情」などが、万国共存の世界における一国の独立と優越性を保障する要因だと考えた会沢は、やがて「衆人」によって構成される「風俗」、および「風俗」の教導に目を向けるに至った。②会沢正志斎の問題意識を継承し、「道理」から「風俗」へと視線を転換しただけでなく、さらに、日本の「風俗」にとどまらず、西洋という他者の「風俗」までも視野に収め、そして、「風俗」を構成する民衆一人一人の主体性まで思索したのは、次の世代の知識人、中村正直や、福沢諭吉などの文明論者であった。本研究は、従来の研究によっては明らかにされていなかった、中村正直の幕末期の思想形成過程や、徳川末期以来の「道理」と「風俗」をめぐる議論の系譜を引いた福沢諭吉の民衆「籠絡」論を詳しく分析した。彼らは「道理」と「風俗」の関係だけでなく、「風俗」の具体的な内容として、民衆の「道徳」と「智力」の問題を分析し、さらにそれらを導く方法としての統治技術についても検討していた。③最後に、本研究は、明治中期に盛んに活躍して、「最後の水戸学者」と呼ばれた内藤耻叟の思想を分析した。内藤耻叟は、キリスト教や自由・平等などの西洋思想を「空理」と批判し、福沢や中村が考えたように「智力」と「道徳」によって人心を籠絡するのではなく、また「法律」や「兵力」に頼るのでもなく、日本の「国体人情」に具わった君臣・父子の間の厚い「感情」を育てることを提唱した。この構想は天地に通じる普遍的な「道理」と、同時代の社会の「風俗」とを架橋しようとする試みでもあった。2022年、申請者は上述の研究を「『道理』と『風俗』:水戸学と文明論の十九世紀」というタイトルで東京大学大学院法学政治学研究科に博士論文を提出して、同年12月に博士号を獲得した。
 【今後の課題・見通し】上述したように、本研究は、明治中期における、智力の時代から感情の時代へという転換を分析したが、今後は、西洋政治思想における情念の問題にも目配りしつつ、さらに穂積八束などの同時代の法学者や、明治20年頃から活躍し始めた政教社グループなどの若い世代の知識人、さらに文学界の潮流などを視野に入れることで、より広く時代全体の問題として「感情」を位置づけることを試みる。そして、19世紀前半の日本の思想家たちと比較する形で、当時、日本にとって貴重な情報源であった清朝の文献も参照しながら、清朝の知識人たちがいかに「道理」と「風俗」の問題を論じていたかについても考えたい。

 

2023年5月

現職:東京大学大学院法学政治学研究科附属ビジネスロー・比較法政研究センター 講師