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研究助成

成果報告

外国人若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(サントリーフェローシップ)

2021年度

清代中国の情報伝達と政治構造

東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
殷 晴

 本研究は、清代におけるメディアの変遷過程を明らかにするとともに、この過程にみられる政治状況の変容を考察したものである。
 19世紀半ばまで、清朝域内における唯一の定期刊行物は邸報と呼ばれる、宮廷の動静、皇帝の諭旨、大臣の上奏文を日ごとにまとめて掲載した小冊子であった。それから約半世紀の間、西洋由来のメディアである新聞は邸報に代わって、時事情報を不特定多数の人々に定期的に伝達する役割を担うようになった。
 従来、邸報は中国の「伝統的メディア」、新聞は「近代的メディア」と位置づけられ、邸報から新聞への転換は、近代化の必然的な結果と自明視されてきた。その結果、邸報と新聞の間の連続性と断絶性や、新聞が中国で普及していった政治的・社会的要因は、必ずしも十分に分析されていない。
 また、ジャーナリズムの展開は、①宣教師による新聞・雑誌の発行→②開港場における商業新聞の出現→③変法運動期(1896〜1898)における政論新聞・雑誌の登場→④光緒新政期(1901〜1911)におけるジャーナリズムの飛躍的発展といった四つの段階を経たとまとめられる。しかし、視野をジャーナリズムそのものから社会全体に広げ、メディアを経済や政治と並んで、人間社会を構成する要素の一つと見なす場合、それが異なった時期に実際に果たした役割や、ほかの構成要素との相互関係といった問題は、十分に解明されているとは言い難い。
 そこで本研究では、「政権の情報統制と情報発信」および「政治情報に対する需要と言論活動の展開」という二つの角度から、清代における政治情報の伝播のあり方を分析し、メディアと政治の相互関係を明らかにすることを目指した。
 本研究の結論は、以下の三点にまとめられる。
 第一に、新聞の中国での普及は、外政に関する情報を掲載しないという邸報の欠陥、そしてこの欠陥を表面化させた対外関係の変容と密接に関連していた。対外関係が清朝に与える影響が増大していったにもかかわらず、邸報には外政に関する情報がほとんど掲載されていなかったからである。西洋諸国との接触が増加していく中、様々な分野で既存の仕組みが新しい需要に対応できなくなったが、邸報に代表される情報伝達方式もその一つであったと言える。
 第二に、新政を契機に、清朝政権の情報統制と情報発信に対する姿勢が大きく変容した。20世紀以前、情報の統制に関しては、安定的な統治秩序を保つためには厳罰を伴う弾圧も辞さないが、秩序が乱されないと判断する限り、情報漏洩の慣行や民間の自生的な行動を容認する態度であった。情報発信に関しては、被治者が公的情報を知ることは禁じないものの、国政の動きを積極的に広く一般に周知させようともしなかった。
 20世紀に入り新政が進むと、政府は「官報」の発行に乗り出し、輿論の理解を得るために民間からの質疑にも回答し、積極的な情報発信を試みた。情報発信の積極化には、政治秩序の正当性の根拠を国民の意思に求めるという「民主的」な側面があった一方、情報の内容と流れをコントロールしようとする統制的な側面も内包されていた。だが、このような情報伝達面への介入の深化は、必ずしも専制政治の回復を目指した動きではなく、むしろ中央集権的な統一国家の構築という「近代的」な課題を達成するための模索と言うべきであろう。
 第三に、ジャーナリズムの急速な発展は、中央政府の弱体化とほぼ同時並行で進んでいた。義和団戦争で権威が大きく失墜した中央政府は、新政が展開していくにつれ失策が度々批判され、信用が益々失われていった。そして、立憲制導入への要求が全国的に高まる中、「庶政はこれを輿論に公にする」方針を中央政府が自ら宣言した以上、ジャーナリズムを通じて表出された声こそが「輿論」であり、政策決定に反映されるべきだという主張は、正当性を得ることになった。たとえ政府の判断に合理性があったとしても、「輿論」に従わないこと自体が立憲精神に反する行為と見なされ、さらなる批判を招く結果となった。政策の軌道修正とそれに対する批判はどの政権にとっても不可避なことであるが、清朝は信用を回復することができなかった。
 清末の最後の10年間、中国のジャーナリズムは二つの使命を背負っていた。一つは「民智」を開き、国民意識を醸成することであり、もう一つは言論を通じた政治参加である。前者の成果は必然的に言論の活発化、そしてジャーナリズムの影響力の増大をもたらしたと言える。20世紀初頭の政治状況を考えれば、ジャーナリズムの使命はかなりの程度達成されたと言えよう。しかし、国家統合をなし得るような強力な中央政府の再建は失敗に終わった。「富国強兵の実現」「言論の自由」と「民衆の動員」の間の緊張関係を如何に扱うかは、民国時期の大きな政治課題となってゆくのである。

 

2023年5月

現職:津田塾大学非常勤講師