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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)

2021年度

核兵器をめぐる日米関係:抑止と軍縮の狭間で、1969―1979年

同志社大学大学院法学研究科 博士課程(後期課程)
石本 凌也

研究の動機、意義、目的
 本研究は、米ソ核軍備管理交渉をめぐる日米関係を、両国の一次史料に基づき検討するものである。日本は、1969年に開始された米ソ戦略兵器制限交渉(以下、SALT)を「被爆国」の立場から評価する一方で、日本への拡大核抑止の信頼性に悪影響を及ぼしかねないものとして「同盟国」としての立場から懸念を表明していた。米国もまた、この日本のアンビバレントな立場を認識していた。核兵器をめぐる抑止と軍縮のジレンマが、この時期に表出してきたのである。こうした状況において、日米両国はどのような外交を展開したのだろうか。そしてそれはなぜだろうか。本研究は、以上のような問題関心から生まれたものである。
 そこで本研究では、唯一の被爆国である一方で米国の「核の傘」に依存している日本が、抑止と軍縮の狭間でどのように行動してきたのか、それを米国はどのように受容し、日本を位置づけていたのか、そしてそれはなぜかという問いを設定し、これらを明らかにすることを目的とする。従来の研究においてSALTをめぐる日米関係は扱われてきたものの、研究範囲がSALT Iに留まっていたり、SALTから日米関係という一方向の分析視角が用いられてきたりと限界がみられる。特に、72年5月のSALT I締結後、半年後にスタートするSALT IIを議題として取り扱う戦略問題に関する日米協議等が新設され、それまで以上にコミュニケーションを取る素地が整ったにもかかわらず、その内実や米国のSALT政策決定過程における日本の位置づけの多くが未解明なのである。
 こうした取り組みは、日米安全保障関係に関する歴史研究としての新規性を有するだけではなく、今日的意義もある。核兵器禁止条約が話題となる今日においても、変わらず日本は核抑止と軍縮の狭間でアンビバレントな立場にある。当時の構図とさして変わってはおらず、「今」への理解に大きな貢献を成すと考えられる。

研究成果、得られた知見
 本研究の助成期間においては、主として当時の日本が国際政治環境、国際秩序をどのように認識していたのかを「デタント」の理解に着目し、より大局的な観点から考察を行った。SALTは米ソデタントを体現する事柄そのものであったことから、日本のデタント認識がSALTに対する日本の立場や主張に反映されていたと考えることは難しくない。その日本のデタント認識が、日本の外交政策や安全保障政策にいかなる影響を与えていたのだろうか。
 この取り組みからは、以下のような知見が得られた。1970年代中葉に至るまでは、国内世論がデタントをポジティブに捉えている一方で、日本政府および外務省、防衛庁は「危機」と見なし、それへの対応を前提とした上で「好機」として捉えていた。そして、この2つのデタント認識は結果として同じ影響をもたらした。日米関係の緊密化、日米安保体制重視という姿勢である。これにより「危機」に対処し、「好機」の素地を招いたのであった。こうした日米関係重視の姿勢が、デタントの陰りから終焉にかけての日本のデタント認識にも大きな意味を持つこととなった。75年8月の三木=フォード会談や同年12月の「新太平洋ドクトリン」を経て、日米関係の緊密化を日本が実感として得られるようになったと考えられる。その間、日米防衛協力も具体的に進展した。その結果、デタントがもたらした「危機」を乗り越えることで、日本政府や当局者はデタントを従前のように重視しなくなったのである。そこには相関関係が見て取れる。さらにソ連のアフガン侵攻により、日本は主体性を持ちながら「西側の一員」という立場を明確にし、「全方位外交」からの方針転換を行った。ここに「好機」としてのデタントも完全に消え去った。以降の日本外交の多角化はデタントに基づいたものではなく、その政策が踏襲され、日本の主体性とともに継続されていくこととなったのである。

今後の課題、見通し
 今後は、昨年夏に米国で収集してきた一次史料を丹念に読込み、ニクソン期からフォード期、そしてフォード期からカーター期にかけてのSALTをめぐる日米関係を検討していきたい。SALT I締結以降、SALT IIを進めていく中で、日本の位置づけはどのように変容、もしくは継続したのか。大統領の交代がSALTをめぐる日米関係にどのような影響を与えたのかという点に着目し、分析を進める。これらを独立論文として刊行するだけでなく、過去の研究成果も含め、今後の研究では、70年代に築かれた核兵器をめぐる日米関係の構図とその要因を博士論文としてまとめたい。

 

2023年5月