成果報告
2020年度
マキァヴェッリの歴史叙述と政治思想
- 東京大学大学院法学政治学研究科 博士課程
- 村木 数鷹
研究の動機・意義・目的
ニッコロ・マキァヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469-1527)は、政治思想史における「近代」の劈頭を飾る画期的な思想家として常に評価されながらも、その「新しさ」を如何に解釈するかという問いを巡っては、没後500年間の長きに亘って、その時代に応じた多種多様な解釈が相次いで提起され、現在に至るまで決して一定の収束した答えを得ることはなかった。今日改めてこの問題に取り組むことは、ただ歴史学的により正確なマキァヴェッリ像を手にするためのみならず、近代以降の歴史の歩み、延いては現在の世界に対する理解を鋭く刷新し続けていくためにも、有効かつ不可欠な試みである。
本研究は、これまで『君主論』と『リウィウス論』にその関心が集中してきたマキァヴェッリ研究の現状に対して新たな地平を切り拓くべく、今日まで然るべき検討が与えられてこなかった『フィレンツェ史』という彼の最晩年の著作に重点を置き直すことにより、彼の思想上の変遷を異なる視角から説得的に再構成してみせることを目指す。その成果は、近代の出発点に位置する一人の思想家において、その歴史意識と政治思想、さらには制度改革構想が如何に関係していたかを明らかにすることを通じて、学問の細分化やその実践からの乖離が叫ばれ、近代が生み出してきた難解な諸問題が複雑に絡み合った結果としての閉塞感に苛まれる現代社会にとって、確かな歴史的参照項を与えるはずである。
研究成果・研究で得られた知見
マキァヴェッリは、その著作のなかで自らの政治的な議論を展開するに際して、決まって歴史的な題材をその着想源としていた。『君主論』であればリーダーたちの成功と失敗の事例、『リウィウス論』であれば古代ローマの歴史書に記された輝かしい逸話、そして『フィレンツェ史』であれば同時代イタリアの散々たる現実がこれに当たる。しかしながら、マキァヴェッリの独創的な政治思想を背後で支えていたのが、こうした歴史を彼が取り扱う際の方法論的な次元における特殊な問題意識であったことには、これまで充分な注意が払われてこなかった。
古典古代に対する特殊な距離感に依拠しながら、それ以前の世界に対する断絶という明確な自意識と共に幕を開けた新時代としてのルネサンス期において「歴史」とは、倣うべき、また時には避けるべき「モデル」を人々に提供する領域であった。そこで与えられる個々の「歴史的範例(英example、羅exemplum)」に如何に向き合うか、そしてそこから如何なる理論的洞察を導くことができるかという問題が、マキァヴェッリに限らず当時の政治的な著作を執筆する者たちにとって一つの重要な鍵であった。
マキァヴェッリがこうした「歴史的範例」を如何なる理論的な見通しのもとで利用していたかの実態を、著作ごとの相違にも意識を向けた上で丹念に追跡することにより、彼がその生涯を通じて一貫した問題意識を持ちながらも、それと同時に見逃すことのできない変化と成熟とを経験していたことを明らかにできるのではないかとの着想が、本研究にとって重要な基軸を成す。こうした視座から眺めた時に、マキァヴェッリの最後の大きな著作が『フィレンツェ史』という彼自らが歴史家として筆を執った作品であるという事実は、そこから回顧的に彼の他の著作を捉え直すことを通じて、多くの示唆を与えてくれる。
こうした見通しに基づいた分析は、マキァヴェッリが個々の歴史的範例からリーダーに求められる政治的資質や適切な行動指針を導出する『君主論』の次元を離れて、それ以降の著作では一見して相互に矛盾を孕んでいる様々な歴史的範例のあり方について、これを背後で規定する構造的な要因を検討することへと主要な関心を移していたとの発見をもたらす。これに加えて、こうした一連のテクストについては、マキァヴェッリが書記官時代に直面した政治的問題の経験に基づいて、「都市」フィレンツェと周囲の「領域」との新たな関係の構築を模索する過程で練り上げられた一つの国制構想の存在を重要なコンテクストとしながら読み進める必要があることも明らかになった。
今後の課題・見通し
以上で示したようなマキァヴェッリの思想上の変遷を、具体的なテクストの解釈を伴いながら如何に説得的に再構成していくかが今後の課題となる。その記述に際しては、当時の政治社会において歴史を書くということが如何なる意味を有していたのか、そして「歴史的範例」の扱いにおいてマキァヴェッリが先行する伝統に対して如何なる偏差を見せていたのかについての分析を同時に進めていくことが求められる。その成果は、「歴史家マキァヴェッリ」とも称し得る一つの人物像として結実するはずである。
2022年5月