成果報告
2020年度
ドイツ語圏・日韓間のミュージカル輸出における連鎖反応の研究
- 明治大学国際日本学部 助教
- 田中 里奈
ミュージカルというジャンルと聞けば、『キャッツ』や『ライオンキング』を連想しがちなのは、なにも日本に限った話ではない。1980年代以来、アメリカ合衆国のブロードウェイやイギリスのウエストエンドをいわゆる「本場」とみなし、当地のミュージカル・プロダクションを世界各地で再現するフランチャイズ型ビジネスが主流である。ただし、ブロードウェイを中心とする蜘蛛の巣のような輸出形態が世界規模で定着した一方で、グローバル経済の停滞やローカルな価値基準を重視する近年の国際的傾向のもと、輸出先で作品の改変を多かれ少なかれ許容する方針も、非英語圏で着実に広がりつつある。
ブロードウェイ・ミュージカルは、1960年代にドイツ語圏と日本へ、少し遅れて韓国に広がった。すでに1990年頃のドイツ語圏や日韓で生じていたミュージカルの「ご当地化」とその輸出については、D. SavranやL. MacDonaldらミュージカル研究者が指摘してきた。だが、ご当地ミュージカルが輸出された先で大幅に改変され、さらに別の地域で新たなご当地ミュージカルの形成を促してきたことは、長らく研究の範疇外であった。ブロードウェイ中心主義的なミュージカル研究において複数の言語を解する研究者が不在だったことは、「ブロードウェイ視点か、それとも1つのローカルな視点か」という二極化を促し、フランチャイズ型ミュージカルが流行する傍ら、散発的に生じたかに見えた「特殊な」ご当地ミュージカルの改変可能な形での輸出(=非フランチャイズ型)を、国際ミュージカル史の枠外に留め置いてきた。
なぜ、非フランチャイズ型がドイツと韓国、オーストリアと日本という局地間で生まれ、さらにそれがフランチャイズ型を侵食せずに広がったのか。本研究の目的は、この現象を国際ミュージカル史へと統合可能な形に、すなわち、各地で当たり前のものとして運用されている興行的枠組みを解題し、異なる地域にもその仕組みが共有できるようにすることであった。
まず経済的な側面に着目すると、フランチャイズ型は世界各地の興行形態に必ずしも適合していなかった。ドイツとオーストリアでは公的支援が劇場運営に不可欠である一方、日韓では芸能事務所の影響力が強く、日本では阪急阪神東宝グループのような系列企業が公演を主催する場合も多い。ブロードウェイでは、プロダクションごとに出資者を募って制作し、チケットの売上と輸出によるロイヤリティで膨大な制作費を回収しようとするが、ドイツ語圏と日韓ではプロダクションの外に強固なリソースが存在しているために、ロイヤリティの回収が必須ではない。
経済的な利益の代わりに、ドイツやオーストリア発のミュージカルで重視されたのは、自国の文化的イメージの向上という目的であった。両国では観光産業との結びつきが強い。さらに、ヨーロッパにおける翻案ありきの「高尚な」オペラや演劇と同じレベルに「大衆的な」ミュージカルを「高め」、それを第三国へ輸出し啓蒙するという政治戦略が受け入れられやすい。『地下鉄一号線』(1986)をドイツから韓国に輸出するにあたって、独政府出資機関ゲーテ・インスティテュートの文化プロモーションが関わっていたことや、『エリーザベト』(1992)のオーストリアから日本への輸出以前、オーストリアの観光業が日本でのハプスブルク・ブームに注目していたことを見逃してはならない。
2000年代になると、改変可能なミュージカルは日韓での成功を経て、アジアと欧州の諸国に着実に普及した。国際的主流のブロードウェイ型に競合せず、そのオプションとして広がった背景には、近代ヨーロッパに建てられた多くの「伝統的な」劇場がミュージカルを上演するためだけに劇場機構を改装できず、現代的な設備を要するフランチャイズ型の輸入が各地で困難だったという共通の事情がある。
この間、日韓はヨーロッパからの輸入を続けてきたが、距離的にも市場的にも欧州から隔たりのある日韓がヨーロッパにとって体のいい「お客様」であったことは否定できない。ただし日韓では、実際的な運用において、一から作品をつくるよりも、主演する人気俳優の雰囲気に合った作品を「憧れの国ヨーロッパ」から輸入して、ファンの期待に基づいて改変した方が効率的である。なぜなら、プロダクションの出来よりも、出演者の知名度やファンダム、異国感こそが興行的な成功を支えているからだ(両国できらびやかなコスチュームプレイが好まれる理由もここにある)。ただし、『マリー・アントワネット』(2006)のように、日本で生まれたプロダクションがドイツや韓国へさらに輸出されたケースもある。これらは変化する時代の中でミュージカルが地域(横断的な)興行として生き残っていくための重要な足掛かりといえるだろう。
今年度の研究実施に際し、予定した実地調査を感染状況の悪化のために延期・中止した。これにより、一部の実証的裏付けは次年度の課題とした。また、諸般の事情により、今年度に予定していた英語論考の刊行を次年度に持ち越した。
2022年5月
現職:京都産業大学文化学部 助教