成果報告
2020年度
ライフストーリーをマンガで発信!~障害者のセルフアドボカシー促進に向けた試み~
- 天理大学人間学部 准教授
- 森口 弘美
1 研究目的
ライフストーリーをとおして自分の人生を言語化することは、自分の経験を振り返り、その時の自分の思いを確認し、これからどう生きていきたいかを考える一助となる。本研究では、知的障害のある人のライフストーリーをマンガにする試みを行った。
社会的に弱い立場にある人の権利を守る活動のことをアドボカシーと言い、知的障害のある人の権利に関しては、アドボカシーを行う主体は専門職や家族であることが少なくない。これに対して、障害のある当事者自身が自分の気持ちや意見を表明し、周囲の人々や社会に働きかけていくことをセルフアドボカシーと言う。本研究では、知的障害のある人のライフストーリーをマンガで表現することで、セルフアドボカシーの促進の一助にすることを目指した。
2 実施概要
日本の知的障害のある当事者(中西正繁さん)と英国の当事者(イアン・デイヴィスさん)の協力を得て、それぞれが主人公のライフストーリーマンガを制作した。京都精華大学事業推進室に制作を依頼し、制作にあたっては研究メンバー(吉村和真:京都精華大学/藤澤和子:びわこ学院大学)と意見交換をしながら制作を進めたが、その行程には、主人公となった中西さん、デイヴィスさんも確認作業等をとおして参加した。また、デイヴィスさんのマンガ制作をとおして、英国の研究メンバー(リズ・ティリー:オープンユニバーシティ)とも意見交換をした。
2つのライフストーリーマンガは、2か所の福祉事業所でそれぞれ1作品ずつ発表し、知的障害を含む障害のある人たちが参加した。また、天理大学の授業で紹介しマンガを介して学生と交流した。
3 研究成果および今後の課題
制作過程および上記の全行程を終えた後の振り返りミーティングにおいて、本研究で明らかになったことや今後の課題について、研究メンバーで議論や確認をした。以下がその要点である。
① 制作プロセスをとおしたコミュニケーションの意義
マンガは、背景となる情報が十分にあってはじめて読者に伝わる作品になっていく。本研究においては、当事者に過去のことを思い出してもらい、周りの状況はどうだったのか、なぜそのようなことが起きたのか、その時の自身の気持ちはどうだったのか等について、マンガ家および制作ディレクターから当事者に対してさまざまな確認の質問があった。それにより、当事者から新たに語られた思いや、明らかになった事実などがあった。知的障害があるということは、言葉で表現する力に障害があることを意味している。マンガによるビジュアル化の過程は、知的障害のある当事者による表現をより確かなものにすることがわかった。
② キャラクター化の可能性と留意事項
制作プロセスのなかで中西さんから語られた思いをマンガに入れたところ、中西さんが、さまざまな場面でその思いを語るようになった。このことをとおして、マンガに挿入されたエピソードが本人の思いを強化する可能性があることに気が付いた。これは「キャラクター化」、つまりマンガの主人公になることによって、読者の期待に影響を受けて、モデルとなった本人の役割が増幅することだと言える。このことを踏まえれば、マンガは利便性が高い一方で、だからこそ、特に障害のある人に対してはキャラクター化をする最初の段階での配慮を制作者側が丁寧に行うことが不可欠である。具体的には、当事者がマンガの主人公になることの意義や影響を理解しているか、そのうえで主人公になることを本人の意思で承諾しているか、キャラクターのイメージやストーリーの内容が本人のイメージや伝えたいことと大きくずれていないか等の確認である。なお、今後の課題の一つは、今回マンガの主人公になる経験をした本人の変化を引き続き観察し続けることである。
③ 障害の表現について
知的障害は見た目ではわかりにくく、マンガの主人公の障害をどう視覚的に表現するかについて、マンガ家や制作ディレクターを含め検討することとなった。検討をとおして、今回制作するマンガは知的障害の理解を目的としたものではなく、中西さん、デイヴィスさんがどのように生きてきたか、これからどのように生きようとしているかを伝えるものであることを確認した。完成した2つの作品に共通する当事者の思いは、人とのつながりや対等な関係であり、マンガには「障害者として」ではなく「人として何を大事にしたいのか」が表現されている。知的障害を視覚的に表現することの難しさが明らかになるとともに、マンガをとおして何を伝えるか(障害に対する理解なのか、一人の人としての思いなのか等)を検討する重要性がわかった。
④ わかりやすい表現について
ライフストーリーマンガの制作段階で直面した課題の一つが、読む力がどの程度ある人を読者として想定するのかという点であった。このたびの作品では、ルビや分かち書きのほか、コマ割りを単純化したうえで読み進める順番を示したり、難しく抽象的な表現を具体的でわかりやすい表現にするなどの工夫をした。しかしながら、ライフストーリーのさまざまなトピックをわかりやすく表現するには相応の紙幅が必要となることから、このたび制作した作品はLLマンガとは言えないというのが研究メンバーの共通見解である(LLマンガについては、吉村和真・藤澤和子・都留泰作編著2018『障害のある人たちに向けたLLマンガへの招待』を参照)。また、LLマンガの観点とは別に、本人たちがこのマンガをアドボカシーのツールとして使えるのか、どのように活用しているのかについて、今後継続して検証する必要がある。
⑤ 制作したライフストーリーマンガの活用について
当初の研究計画では、制作したライフストーリーの発表を行い、感想や評価を収集する計画をたてた。発表については、中西さん、デイヴィスさんも参加し、2か所の福祉事業所、および1か所の大学の授業で発表を行うことができた。
これらの発表をとおして、2か所の福祉事業所から「読むのが(読むという行為が)難しいので動画にしてほしい」「動画にすることでもっと多くの人に読んでもらえるのでは」という声があり、動画化のニーズや可能性があることがわかった。また、障害の有無にかかわらず、「マンガ全体をとおして感想を述べる」ことは、関心や論点が拡散するため難しいことがわかった。マンガを活用したセルフアドボカシーに向けてのステップとしては、今後、大学の授業等を活用することを検討しているが、感想や質疑応答でとどまるのではなく、学生の深い理解につなげる仕掛けや工夫を考える必要がある。
⑥ 障害のある人のライフストーリーのマンガ化の意義や可能性について
本研究事業について読売新聞(2021年10月8日夕刊)に掲載されたところ、約30件の問い合わせがあった。マンガを送付した後に感想を寄せてくださる方もいた。問い合わせや感想の中には、障害のある家族や親せきのことを綴った内容が少なくなかったことからも、一人の人のライフストーリーを伝えることが、他の人のライフストーリーを引き出すことにつながることを実感した。ただし、この点については、マンガでなくても伝わる可能性があることから、マンガ化の意義をさらに検討することが今後の課題である。
上記に加え、インクルーシブリサーチおよびセルフアドボカシーの観点からの検討(研究プロセスへの当事者の参加や、そのことによるセルフアドボカシーを含む効果等)、さらに、研究手法としてのマンガの活用の可能性(ビジュアルナラティブの文脈でのマンガの可能性や国際共同研究の可能性、また英国をはじめ日本以外の国にとってのインパクト等)についても、引き続き検討を行っていきたい。
2022年8月
文責:森口弘美