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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2020年度

人々の暮らしのフォークロアから社会政策へ:暮らしの民俗学と政策研究のギャップは埋めることができるか?

Alter ego 幹事
藤野 雅弘

1.研究目的、概要
 本研究は、「社会政策」に関わる際に直面する以下の本質的な問いに対し、方法論としてどのようなアプローチが可能であるかを探索するものである。
 ① 人々は実際には何を必要としている(本当に支援を必要としている)のだろうか?
 ② 我々が取り組む社会政策は、本当に人々の役に立っているだろうか?
 近年、伝統的社会政策がこれまであまり取り上げられることのなかった社会問題(例えば、社会的孤立、ひきこもり、不登校、認知症、虐待、ダブルケア、いわゆる「ゴミ屋敷」、LGBTQ+の人々の権利擁護、ゲーム・ネット依存等々)が多くクローズアップされてきている。こうした社会課題に対して、政治・行政は人々の幸せを願いながらも、法規制や再分配・個別給付等の従来型施策による、いわば後追い的な対処療法に終始する一方、そうした行政が対応できない間を埋めるNPO等も、個別課題への対応を継続するうちに、やがて他の課題の浮上や、資金面、人材面での持続可能性に直面して疲弊していくのを目の当たりにしている。
 このように個別化、複雑化し、刻々と姿を変える社会課題に対し、近年、「地域包括ケア」、「地域共生社会」、「ソーシャル・キャピタル」、「コミュニティ・エンパワメント」等の地域コミュニティを基底とした包括的アプローチの理念が提唱されて政策の中心に据える動きが見られる。一方、現実の政策立案・評価においては、(掛け声的には)むしろエビデンス・データ重視主義の流れが提唱されつつも、インターネット・SNS空間での言説が影響を持ち、(ともすれば)一過性の施策がとられることもあり、現実には大きな影響を与えているが直ちに数値化が困難な要素(例:声を上げることない人々の声、動機やモチベーション、時代精神・価値観など)は政策形成に当たってほとんど捨象させられるように感じられるなど、政策担当者もフロントラインの専門職も住民自身も混沌とした状況に置かれている。
 こうした中で、一人ひとりの生活や暮らしの現実を起点としながら、自らが取り組むべきこと、自治体や国がやるべきことを、それぞれが率直な対話、コミュニケーションの中から見出し、長期的かつ本質的に、当該人間社会とその生活を持続させていく方策を形成していくことは果たして可能なのだろうか。
 本研究は、このような問題意識から、コミュニケーション論や組織論、対人援助技術、ファシリテーション技術などを基に、フィールドワーク等を通じ、現実に立脚した政策形成に向けたインサイトを生成するための方法論の開発を試みるものである。

2.研究の進捗状況
 当初、本研究は、以下の4つのステップにより進める予定であったが、①研究開始後の全ての期間において新型コロナウイルス感染症の影響で規模を縮小せざるを得なかったこと、また②ステップ1の文献調査を行う過程で、人々の生活のリアリティの把握から政策に活用できるインサイトへの生成方法についての仮説形成に時間を要することが予想されたことを踏まえ、文献調査による知見の統合を図りつつ、ステップ2のインタビュー(4名:60代男性2名、30代女性1名、20代女性1名)を実施した段階である。

<ステップ1>
 コミュニケーション、ファシリテーション、ナラティブ、対話、行動変容、住民参加型開発、ボトムアップ型政策形成等に関する国内外の幅広い文献・図書や研究結果を収集・分析し、本研究の目標とする「人々の日常の暮らしの実態を本人たちとの対話、語りの中からありのままに把握し、主体性を引き出しながら最終的に具体的な政策立案につなげていく」ために有効な方法論の仮説を抽出する。その際、保健医療、社会福祉の分野に限らず、民俗学、心理学、行動科学、経営科学、組織論、哲学など幅広い分野の知見を統合する。

 

<ステップ2>
 全国の様々な属性を持つ最大10名程度の人を対象にステップ1で仮説として立てた方法論により、インタビュー調査を実施する。インタビューはその人のライフストーリーを中心に聞き取ることとし、特に社会政策に関して、現代日本に住む人々が具体的にどのように捉えているかを中心に聞き取りを行う。現代日本の暮らしの実態を把握するとともに、政府・自治体が打ち出す社会政策についてどの程度の知識・経験を有しているのかについても明らかにする

 

<ステップ3>
 ステップ2の参加者のうち希望者(5名〜程度)を対象として政策立案の実際の講義とワークショップを行った上で、参加者自身が暮らす地域のうち1〜2箇所を選定し、当該地域で実際に住民として暮らすと仮定した場合に、具体的にどのような暮らしをしたいのかを明確化し、それを元にして実際にボトムアップの地域計画の策定のプロトタイプを試みる。

 

<ステップ4>
 ステップ1からステップ3までを総括し、明らかとなった点、今後の課題等をとりまとめる。

3.これまでに得られた知見
 本研究のアプローチは、量的データの収集や分析と併せ、個々人によってものごとがどのように体験・経験されるのかという現象学的観点を政策形成に応用できないかという問題意識から生まれているが、こうしたエスノグラフィー的調査手法をビジネスの場面や国際協力・開発の現場で活用する例については、これまでのところ数は少ないもののいくつか確認できる。その手法を抽象化して述べるとすれば、問題となっている事象自体の前提の見極めを行うことから始め、個々人の体験・経験等の収集を基に一定のパターンを探索し、鍵となるインサイトを生成するというものである。社会問題に取り組む上では、例えば、上述した現象面(社会的孤立、ひきこもり、不登校・・等)を単体で見るのではなく、その現象の裏で現実に起こっていることや、それに至るまでの過程を具体的に振り返ることで、問題同士の関係性や、本人や関係者のその問題に対する認識構造に変化をもたらすことで現実社会にインパクトをもたらすことを指向するものである。なお、個別の企業や個別のケースにおいて実績が積み上がりつつあるものの、その評価や社会問題に係る政策形成への応用については、これまで体系化された知見はほとんどみられなかった。
 本研究では、これまでに蓄積された知見・手法も活用し、これまでに4名(60代男性2名、30代女性1名、20代女性1名)の対象者へのライフストーリーに係る詳細なインタビューを実施した。これらのインタビューにより、社会政策に関わる課題群にアプローチする上で、個人のライフストーリーと当時の農業や産業政策、人口政策等との連関をより踏まえる視点が重要であること、これまでの社会政策があまり注目を向けることのなかった社会の最小単位(イエ)内部に注目し、それが外部との間や、内部(親子、母子関係の在り方やその影響)でどのような相互作用を織りなしているかについてより目を向ける必要があること等が示唆された。

4.今後の課題等
 本研究の最大の意義は、①人々が、その日常の暮らしの実態・実感を元に感じる「上から降ってくる政策」の的外れ感と、②政策担当者が感じる「なぜ人々は行政内でしっかりと練り上げ調整した政策を理解せず、行動変容も起こらない(ように見える)のか」という徒労感のギャップを解消し、双方の相互理解・納得感を高めながら社会改革を進める手がかりを得ることである
 予想されたことではあるが、質的データに基づくアプローチは、ビジネスや国際協力・開発の分野での数少ない活用例しかなく、それも個々の企業や個別ケースでの例に限定されるために、政策という「マスを対象にした(個別に対する)スタンダート」への応用についてはほとんど体系的な知見がなく、今後引き続きの試行錯誤が求められる。また、質的データによるリアリティの把握は、インタビュー対象者の選定やどの程度のデータ蓄積が求められるかといった困難さに加え、さらには今回の例で言えばインタビュー対象者の一人は途中で連絡がとれなくなるなど、声にならない声に本質的に踏み込もうとすればするほどその困難度は増すことを実感している。
 新型コロナウイルス感染症の影響により、本研究も大きな影響を受けることとなったが、引き続き研究を進め、その成果を社会に還元していきたいと考えている。

2022年9月