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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2020年度

ベトナム音楽「ボレロ」のオラリティ~人間は裸一貫で移動するときに何を運ぶのか

立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部 教授
田原 洋樹

1.研究概要
 「ボレロ」とは、従来5音階だったベトナム音楽と西洋音楽の融合によるスローテンポな楽曲に情愛豊かな歌詞がのせられた新しい音楽で、1950年代の旧南ベトナムで流行し始めた。「ボレロ」作曲家の多くは戦死・獄死し、ボートピープルとして脱出途中に落命した者も多い。戦後は譜面を所持することも禁じられていた時期があった。曲や歌詞は口伝でベトナムを離れて、多くの楽曲は国外に脱出、移住した音楽家たちによって保存され、禁曲指定を作詞家および作曲家と歌手による口承で乗り越えてきた。ベトナムにおける近年の「ボレロ」再興では、楽曲の詞や作詞家および作曲家の政治的成分について、文化 ・スポーツ・観光省芸術公演局が個別に審議し、さらにその時々の政治状況に合わせて解禁し、また一度解禁したものを再度禁曲指定している。従って、「ボレロ」を論じるためには、高度なベトナム語運用能力とともに、ベトナム内政を読み解く力が必要であり、その意味ではベトナム地域研究の枠内にあるともいえる。
 一方で、わたしたちの関心は「人間が持ち運べるものとは何か」「身体に携えて移動できるものは何か」という、やや抽象的なところにも及んでいる。現下の世界的問題でいえばウィルスも(負の)携行品であろう。人間が裸一貫で移動するときに何を運ぶのかは、身ひとつでベトナムを出国した「ボートピープル」の多くで構成される在米ベトナム人コミュニティでの調査研究活動で常に意識させられた難題である。例えばベトナム語は、まさに彼らが裸一貫で本国を脱出する際に持ち出した数少ない財産のひとつである。わたしたちは言語研究にもこうした側面を見出してきたグループである。ディアスポラが異郷に運び、育んだ音楽の種子が、戦後40年を経て本国で開花しつつある現状を見ながら、今日の再興に繋がる音楽的軌跡を、歌手や作曲家、音楽評論家など伝承の当事者と検証したい。政治的な立ち位置、音楽を「運ぶ」役割が異なる研究メンバーによる自由な議論と、1975年を境とする戦中戦後のポピュラー音楽の通時的観察および記録は、グローバル・モビリティやオラリティの研究 という「学問の未来」の開拓に対するポピュラー音楽からの接近と主張することを目標とした。

2.研究進捗
 本研究では、「ボレロ」の担い手である歌手や音楽評論家との意見交換、さらに「ボレロ」生みの親である音楽家との対話と、歌手の来日招請および日本国内での歌唱を実施する予定であった。
 しかし、新型コロナウイルスの爆発的な流行により、具体的に研究活動を前進させることができなかった。ベトナムは、感染拡大阻止のために、20年後半から極めて厳格な入国管理政策を取り、研究を目的としたベトナム入国は不可能であった。
 他方で、我が国は「水際対策」徹底の観点から、外国人入国に対してかなり厳格な姿勢を維持している。事実として、当初予定をまったく遂行することができずに、この3年を過ごすことが確定してしまった。
 20年度の研究報告に対して、「オンラインでの歌唱」をご提起くださった審査員の先生方がいらっしゃった。著作権上の問題や「歌唱の場」を大切にする立場から、せっかくのご助言であったが、研究期間の延期をお願いし、実現の日を待つことにした。

3.今後の展開
 最後に、22年8月末時点で考えられる展開を示しておきたい。
(1)水際対策のさらなる緩和を待つ(本年12月まで)
→対策緩和により、歌手の来日招聘が可能になれば、23年3月に招聘し、日本国内でボレロ歌唱およびボレロについてのトークセッションを開催する。
(2)12月時点でベトナム人に対する査証発給が依然として(事実上)停止している場合
→日本人のベトナム入国(および日本への再入国)に問題がない限り、おおむね3月中旬をめどに、田原がベトナムに渡航し、現地で歌手による歌唱とトークセッションを実施する。これをzoomなどにより配信する。

2022年8月