成果報告
2020年度
信仰の世界地図 ――長崎26聖人信仰の視覚化とその伝播をめぐって――
- 日本学術振興会 特別研究員PD(受入機関:京都大学大学院文学研究科)
- 小俣ラポー 日登美
近世ヨーロッパでは、時代の変化を受けて、聖性のあり方も大きく変容し始めていた。まず、宗教戦争が多発し、殉教者が増加した結果、真正の「殉教」の定義が改めて広く問われるようになった。さらに、従来、カトリック教会で崇敬対象として認められ普及していた聖人は、ヨーロッパ出身者が主体であったが、近世のグローバル化により非ヨーロッパ世界出身の聖人候補者も次々に現れ始めた。この文脈で、同時代の殉教者をさしおき、いち早く教皇庁から列福という形で公に認知されたのが、日本のいわゆる長崎 26 聖人と現在呼称される人々である。長崎 26 聖人は、1597 年に豊臣秀吉政権下の日本・長崎で処刑された 26 聖人の殉教者を指す。多くのキリシタン犠牲者の中でも、この 26 人が特別なのは、近世の間に聖人とはならないまでも(列聖 1862 年)、1627 年にローマ教皇庁に列福され、彼らへの信仰が部分的に公認されるようになったためである。この聖性の公認を受けて、同時代には彼らへの崇敬は、キリスト教が禁止され鎖国政策が実施された日本国内ではなく、むしろ国外の様々な場所で隆盛した。つまり、日本の殉教者への信仰は、日本の域外の現地の史的文脈を鑑みながら考察される必要があるだろう。
ヨーロッパでは、日本へ宣教師が直接派遣されていた南欧諸国で彼らの崇敬が盛んだったのはもちろんのこと、宗派間闘争の前線であった南ドイツからボヘミアにかけての地域で、イエズス会がこの殉教者たちの一部を熱心に図像化した。大場はるかは、これまで着目されたことのなかった現チェコ共和国で確認された一連の殉教者図像を初めて本邦に紹介し、その図像群を、ドイツ、スイスのドイツ語圏、オーストリアで新たに実施した現地調査の成果と照らし合わせ、ドイツ語圏とボヘミアの造形芸術の類似点・相違点を明らかにするとともに、①この種の造形芸術の分布と、②この種の造形芸術相互の関係性、③この種の造形芸術と、その他の日本関連の造形芸術や情報媒体――日本に関する印刷物や演劇作品など――との関係性を考察した。今後このような分析をさらに発展させるために、コロナ禍で延期された現地調査が期待される。
ヨーロッパ内の日本の殉教者の図像化は、現在のイタリア、スペイン、ポルトガル、そしてフランドル地方にも散見される。特に、未確認の作品が存在するのではないかと思われていたフランドル地方における調査のために、オランダですでに研究に従事している安平弦司がオランダ・ベルギーでの現地調査を予定していたが、本研究計画始動直後から当地で厳格なロックダウンが施行されたことで、文書館や博物館は閉鎖され、中長距離の移動には大幅な制限が課されてしまい、現地調査が不可能となった。さらに、全体のオブザーバーとして参加している伊川健二も、ポルトガルにおける複数の文書館での調査を予定していたが、やはりコロナ禍のために在外研究が困難であった。今後状況が改善され、以上のような調査が実施されれば、新たな図像が各地で見いだされる可能性は高いと言えるだろう。
ヨーロッパ外では、スペイン帝国統治下のヌエバ・エスパーニャにおいて、殉教した 26 人の中でも、フランシスコ会宣教師フェリーペ・デ・ヘスース個人への崇敬が特に盛んになり、ヨーロッパとは全く異なる文脈で多数のヘスース画像が制作された。川田玲子は、近世以降のヌエバ・エスパーニャの現地の史的背景を考慮しながら、現在メキシコの各地に存在する26聖人画像の存在と、へスース図像のバリエーションの系統を分析した。実は中南米には、メキシコ以外にも、ペルーなどにも関連図像の存在が報告されており、コロナ禍で渡航が阻害されなければ、現地調査の上で、こうした図像群とメキシコの図像群の関連性も分析される予定だった。
一方、小俣ラポー日登美は、図像の時系列上の変遷に目を向け、列福以前の私的な殉教者顕彰の場においては、肌の色を始めとする日本人の身体的特徴が描かれていた形跡が見られたものが、列福後に公式に崇敬の対象になってからは、他者性が敢えて描かれず、ヨーロッパ人のように描かれる場合が多かったことに着目した。このようなケースでは、日本の殉教者が磔刑図のような、カトリック文化圏で普及していた図像で表現されていた場合、文字資料を伴わない図像単独では、それが一瞥で「日本の」絵であるとは容易に判別できない。ある特定の図像が現在に至るまで日本の殉教図として存在し続けられたのは、それが日本の事象だという記憶が、その作品が設置された場所において、意識的に継承されていたからである。このような記憶の継承の形をとった信仰の歴史的な営為がなければ、図像の本来の意味がたやすく忘れられることになる。このような忘却の痕跡が特に顕著に見られると思われるのがフランスである。17世紀の日本関連書籍の出版状況を統計的な比較によって分析すると、17世紀に最も出版物が刊行されたのがイタリアで、次いでフランス、スペインである。ところが現在、フランスで列福当時に作成された(版画以外の)絵画は、文字資料内にしか確認できない。この例からも分かるように、現存する図像の地理上の水平的な広がりを把握するだけではなく、今後は図像を取り巻く継承・忘却・逸失の歴史的経緯も把握することが重要となる。日本の殉教者の図像が現在確認できるという事は、日本の事象がどの程度までローカルのレベルで歴史的記憶に昇華したのかを指し示すベクトルでもあるからだ。これは、この美術史的テーマの下で、あえて歴史学者が集合し肉迫した意義でもある。
2021年8月