成果報告
2020年度
夜―都市―音楽の探索的研究:都市政策・地理情報・フィールドワークを活用したインターディシプリンな取り組み
- 筑波大学芸術系 助教
- 池田 真利子
2010年代は、グローバル・シティの時代であり、同時に夜の時間-空間に経済的関心が集まった時代であった。特に、ロンドン、リオデジャネイロ、東京と、2010年代に大都市で開催されたオリンピックは、各国、ひいては各都市のポリティックスと複雑に結びつき、2020年代に入ってもなお、パンデミック下の混迷社会にその影を落とす。本研究を開始した2019年は、まさにグローバル・シティである東京がオリンピック開催へと期待を膨らませ、再編に向かう時期であった。2016年のリオオリンピック閉会式に続くフラグハンドオーヴァー式典で表象されたのは、日本の固有性と伝統性に代わる、東京の多様性と新都市アイデンティティであり、夜の時間-空間はこうしたものを表現するのに適している題材として選択され、「夜」は新たな時間-空間としてその役割を期待された。
さて、メガ・イベントがもたらす社会への影響は、インフラ再投資や大規模再開発等のハード面に留まらない。高度経済成長期に向かうなか開催された1964年の東京オリンピックでは、住居表示法により歴史的地名が失われ、都市が表面的美化へと向かい、日本人が国際性を意識し始めた。同時に、第二次世界大戦よりアメリカ軍に接収され、米軍住宅として利用されていたワシントンハイツ(現、代々木公園)は五輪選手村・競技用地とすることを前提に全面返還され、これを契機に渋谷・原宿・西麻布は戦後東京の文化創造の中心を担うこととなる。
東京の夜の文化は、米軍が利用していたワシントンハイツの周辺に生まれた。「マンションメーカー」の先駆けでもあるセントラルアパートや、ピテカントロプス・エレクトスを一例とし、東京の文化シーンの一翼を担う空間では、音楽、コント、ファッションの別なく文化実験が行われ、文化の求心力を持ち始める。ソウル、ハウス、ヒップホップ、テクノ等の洋物音楽に接する機会がなかった東京の若者は、まだ見ぬ音楽に心を動かされ、イエロー(黄色人種)のアイデンティティのもと、黒人音楽や白人音楽の隔てなく、その知識と人脈を形成する。DCブーム最中の1980年代の東京は、そうしたエネルギーに満ちた時代であったようである。その間、音楽に合わせて踊ることや、夜の営業は、風俗行為に類する業態として監視の対象であり続けた。これが、法律上変更されることとなった契機が、東京オリンピックであったのは言うまでもない。現代の実情と齟齬する法律が、多少なりとも更新される契機となったのである。
本研究のテーマである「都市の夜」がヨーロッパ学術界において注目を集めたのは、2010年代である。こうした夜への学術関心の高まりの背景には、ニューヨークやロンドンを中心に発現したグローバル都市における夜の消費活動、すなわち「夜間経済(Night-time Economy)」の再評価がある。グローバル都市では、郊外化により1980年代後半以降に中心地衰退と夜間人口減少を経験し、当該時期の消費喚起・経済活性化を背景に、ポスト工業都市のウォーターフロント利活用が進められ、これが2000年代以降の都市観光の重要性の増加を背景に都市行政において評価され始めた。
他方、日本では国家重点施策としてのインバウンド観光振興を契機に、夜間消費が国家的に進められた点が海外と異なる。そのため、地方都市や自然環境を有するリゾート地でも、夜を意識した施策が2010年代後半に開始された。しかし、このように夜がトップダウン的に進められてきたがゆえに、日本人や日本居住者にとっての「夜」の意味を考える社会的機会は失われていた。特に、観光を巡る消費への期待から注目された夜の経済資源は、夜の消費(余暇空間)の側面のみが評価され、生産(経済空間)の側面には光が当たらなかった。
さて、2020年からその影響が明確化したCOVID-19は、夜に決定的な影響を及ぼした。匿名性がより高まる夜の時間-空間は、クラスターとして理解され、「実証実験」やエビデンスもないまま、自粛が求められた。当然、本研究グループの主要な関心の1つである夜間音楽空間(クラブ・ライブハウス)は、騒音対策の必要性から気密性が高いことに加え、行動を控えるべき夜の時間と、不要不急の文化活動というダブルパンチを受けた。ドイツでは、次なるパンデミックに備え、夜間音楽空間の空気循環を含む建築構造の改善や、文化施設としての認知、ひいては民間事業体ながら公益性を含む文化セクターの理解促進等が社会的に議論されたが、日本では残念ならがこうした議論には発展しなかった。まさにこの点が、文理の別を超えて対話し、思考し、策を練ること、そして社会的還元を意識し、人文社会科学の牽引する産学連携の可能性を模索することの重要性を示唆すると考えている。
東京の夜間音楽空間の事業者からは、「夜」は二度とコロナ前には戻らないとの声も聞かれる。夜間音楽経済は、創造性に係る産業を媒介する空間であり、現代の、そして生きた芸術表現でもある。夜間経済が極めて厳しい経営状況に置かれるなか、ポストコロナを見据えて今、求められるのは、生産的側面に注視した夜の社会-空間の意味であり、実態のある場所の意義に関する研究であるといえる。COVID-19を契機に、ドイツでは、社会公益性の高い民間の文化セクターの役割が強調されたなか、産学連携は新たなる段階へと進み、withコロナ時代の夜の社会経済的意義を再検討する必要性を感じている。
2022年8月