成果報告
2020年度
20世紀後半の社会運動史資料の収集・整理・展示活用にかかる学際研究:散逸の危機にある現代史資料を守るための手法開発
- 長野大学環境ツーリズム学部 准教授
- 相川 陽一
1.研究の進捗状況
本研究の目的は、20世紀後半の日本社会で、公害問題や大規模開発などの困難に直面した民衆が、やむにやまれぬ異議申し立てを行う過程で生み出した多様な社会運動史資料の保全と継承のための手法開発を領域横断的に行うことである。これらの運動には、水俣や成田の住民運動のように、被害当事者ではない市民や学生が支援者として参入した事例もあり、そこで生まれた多様な史資料は、人間がもつ「遠くの他者への共感の回路」を示す証左である。だが、当事者の高齢化や物故が進行するいま、これらの記録と記憶は消滅の危機に瀕している。
たとえば、地方圏では過疎化の進行により、記憶と記録の収蔵庫だった農家家屋・納屋・土蔵の管理放棄が進み、住民運動資料等の散逸危機が生じている。そして都市圏では、世代継承を想定していない都市型家屋が多いなかで「団塊の世代」が後期高齢者となり、20世紀後半に生起した社会運動に関する史資料を寄贈や寄託する社会的な仕組みの整備が不十分なまま、当事者の物故と史資料の散逸が静かに進んでいる。
現代史資料の保全の不十分さは、公設の史料保存機関に収蔵されにくい社会運動に関して特に深刻だが、これらの問題は、社会運動史資料のみならず、現代史資料そのものの収集・整理・保存・活用の仕組みの脆弱さも示している。史資料の散逸を防ぐ仕組みの不在は、平常時の史資料散逸のリスクを増すと同時に、自然災害による史資料の散逸や滅失のリスクも増幅させる。このままでは、21世紀は、代替不可能性をもった前世紀の史資料群が大量に廃棄される時代となる。
継続の機会をいただいた本共同研究は、以上の問題意識と危機意識に基づき、学問領域を超えた研究者の連携のもとで、発展的な研究目的を設定した。それらは、1)文書資料と視聴覚資料の相互補完的な保全と活用の手法を開発すること、2)前項の成果をもとに、社会運動史研究の射程を1970年代まで伸ばすこと、3)以上の成果をもとに、現代史資料論そのものに寄与する新たな方法的知見を導出することである。前記の1)から3)を達成するために、本研究は、相互の連携が希薄であった現代史学、アーカイブズ学、映画学、社会学の4領域による共同研究組織を構築して、共同研究に取り組んできた。研究対象として、研究代表者が1990年代後半からアーカイブズ構築に携わってきた成田空港 空と大地の歴史館(千葉県芝山町)の収蔵史資料群を研究対象とする方針を定め、具体的には、文書資料と視聴覚資料の双方を含む「元小川プロダクション資料」を研究対象とした。
本研究は、新型コロナウイルス感染症の流行に伴う対面型の研究会やアーカイブズ調査の制限という困難に直面したが、オンライン研究会を連続開催することにより、上記の4つの学問領域を横断した対話の場を維持し、20世紀後半の社会運動資料の保全と活用にかかる手法開発において新たな知見を獲得することができた。
2.研究成果
本共同研究では、国内各地で20世紀後半の社会運動資料の保全に尽力している研究者やアーキビストを招聘する連続研究会を実施し、各機関に蓄積された方法論を共有して、20世紀後半の社会運動資料の収集・整理・保全・活用にかかる方法論の確立とその一般化を目指して活動を展開してきた。
当初は、成田空港 空と大地の歴史館を研究拠点として、同館に収蔵された約5万5千点の成田空港問題にかかる史資料群を実例に、ワークショップ形式で研究会を連続実施する計画だった。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行拡大により、同館が2020年度に臨時休館を余儀なくされ、研究組織メンバーの移動制限も生じたことから、オンラインでの研究会にとなった。2022年7月までに、計10回の研究会を開催している。この過程で、市民参加型の資料整理手法などの発案や概念化がなされた。
そして、新型コロナウイルス感染症の流行状況を慎重に見定めながら、コロナ禍で開館を再開した成田空港 空と大地の歴史館を会場に、小川プロダクション資料を、文書資料と視聴覚資料の専門家とともに整理しながら、長期保存と研究や展示への活用可能性をさぐる研究会も開催した。
以上の研究活動の過程で、『記録と史料』第31号や『社会運動史研究』3号等に研究成果を学術論文として発表した。関連する招待講演では、2019年の山形国際ドキュメンタリー映画祭での国際ワークショップにて、主たる研究対象としてきた小川プロダクション資料の整理と保全に関する口頭報告をおこない、映像研究者や映像作家との対話の機会を得た。その後、日本映像学会大会の公開シンポジウム(2020年9月)で招待報告「地域における記録映画アーカイブズの構築実践:小川プロダクション関連資料の収集と整理を中心に」の機会を得て、戦後日本の記録映画史において重要な位置を占める小川プロダクションが残した資料の収集・整理・保存の実践例をもとに、映像研究者やアーキビストと領域横断的な対話をおこなう機会を得た。
そして、4年にわたる共同研究の集大成として、史資料の公開(史資料へのアクセス)のあり方に関する公開研究会を開催した。具体的には、オンラインセミナー「記録される生と死―アーカイブズと『名前』をめぐるディスカッション」(2022年7月)を立教大学共生社会研究センターと共催し、史資料の収集・整理・保存の延長上に位置づく重要課題として史資料へのアクセスをめぐる議論をおこなった。この中で、2021年に同研究センターの平野泉氏(アーキビスト)が提起した「市民の記録を活かすための共同宣言」について、これをローカルなレベルから実現するための動きを作っていけないだろうかとの提案をおこなった。この共同宣言構想は、史資料の作成者、保存・提供者、利用者の誰もが同意でき、誰の人権も侵さないことを念頭に置いたものであり、市民社会の同意や支持に支えられたアーカイブズづくりへの取り組みである。当共同研究で向き合ってきた具体的な史資料群を事例に、「市民の記録を活かすための共同宣言」のローカル・レベルで実現させていく、という発展的な課題を得て、当共同究は4年の研究期間を終えた。
3.研究で得られた知見
2020年度から進めてきた当共同研究で、新たに得ることのできた知見のひとつは、20世紀後半の社会運動資料にかかる方法論の中に、多様な形態を取る文書資料の収集・整理・保全・活用の手法のみならず、視聴覚資料(音声・映像資料)にかかる手法を位置づけ、文書資料と視聴覚資料の相互補完的な保全と活用の手法の確立が必要との認識を得たことである。動画や写真といった映像資料は、現実を映した「透明な媒体」ではなく、製作者側の何らかの意図や編集過程を経て成立する史資料である。このような映像の文法を熟知した映像の専門家が文書資料の専門家と連携することにより、20世紀後半の社会運動資料を、多様な史資料形態に翻弄されず、総合的に活用するための手法を生み出すことができる。20世紀後半の社会運動を対象として、このような学問領域間の連携を恒常的に実現している研究プロジェクトは希少と思われる。当研究プロジェクトは、助成期間の終了後も共同研究組織を存続させ、今後も知見の蓄積と発信を図っていく。
もうひとつの知見は、連続研究会の形態で、20世紀後半の社会運動史資料にかかる方法論上の課題を集約し、その体系化に向けた議論の場を領域横断的に設けることの意義を研究組織メンバー内外で共有し得たことである。連続研究会では、20世紀後半の社会運動史資料の保全論が必要とされる社会的背景に関する知見を上記(本資料内の項目1.)のように整理し、これらの課題克服のための手法として、たとえば市民参加型の資料整理の可能性と課題を議論する機会等を豊富に得ることができた。このような研究上の対話の機会を今後も継続することによって、20世紀後半の社会運動史資料の保全論を体系化する糸口を得ることができるだろう。
4.今後の課題
当共同研究にかかる連続研究会やセミナー等は、Zoom等のオンライン会議システムを使用することで定例開催を実現できた。だが、当共同研究プロジェクトは、20世紀後半の社会運動の史資料保全のための手法開発を目的にしており、各地のアーカイブズ訪問と現地での研究会の開催は、史資料の保全と活用の手法開発のために欠かすことのできない研究活動である。
当共同研究で開催したオンライン連続研究会や対面研究会では、研究組織メンバーとゲスト講師との対話に基づいて、共通資料「20世紀後半の社会運動史資料をめぐる課題群」を共同作成し、2019年から4年かけて改訂を続けてきた。
今後は、新型コロナウイルス感染症等の流行状況を慎重に見定めながら、これまでの連続研究会のゲストの所属機関等を訪問して、現地で史資料を前に対面型の研究会を開催し、「20世紀後半の社会運動史資料をめぐる課題群」の体系化を進めるとともに、課題克服のための手法を彫琢して、20世紀後半の社会運動史資料をめぐる保全論と活用論の体系化をめざしたい。
2022年9月