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研究助成

成果報告

外国人若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(サントリーフェローシップ)

2020年度

戦前日本におけるペルシア美術工芸――コレクション・展示・研究をめぐるネットワーク

東京大学大学院総合文化研究科 博士後期課程
モハッラミプール ザヘラ

研究の動機、意義、目的  本研究の目的は、建築家・建築史家の伊東忠太(1867–1954)を筆頭とする建築家、美術史家、考古学者、美術商が行った「ペルシア」美術工芸品の蒐集、日本国内での展示および彼らの研究を包括的に分析し、戦前日本における「ペルシア」美術工芸品の受容の諸相と、そこから浮かび上がってくる当時の「ペルシア」観を明らかにすることである。
 近年の欧米における「ペルシア」美術のヒストリオグラフィーに関する研究では、抽象的で流動的な概念である“Persian art”が特定の時代や影響力のある人物によって作り上げられたものであるということが注目されており、「ペルシア」のイメージが世界中で形成されるようになった過程を、研究者、コレクター、美術商の活動や美術工芸品そのものによって明らかにする傾向が見られる。一方、戦前日本の「ペルシア」美術受容を概念形成の観点から考察した研究は、未だ行われていない。そこで本研究では、日本にもたらされた「ペルシア」美術工芸品やその流入の担い手たち、および美術工芸品が紹介される場としての展覧会に加えて、それらをとりまく言説にも焦点を当て、包括的に検討することを目指す。また、日本における「ペルシア」美術受容の変遷のみならず、「ペルシア」美術に関する欧米の言説が、日本でいかに受容されたのか、日本と欧米の「ペルシア」観がどのように異なるのかを比較文化史的な視野から探るのも本研究の課題となる。
 とりわけ、本研究で取り上げる伊東忠太の活動に関しては、管見の限り、これまで「ペルシア」というキーワードを用いた詳細な分析がなされていない。伊東は、「法隆寺建築論」という論文において、ギリシャから奈良までの文化の伝播を論じた後、この論の裏付けを得るために、1902年3月から1905年6月にかけて中国・インド・オスマン帝国への旅行に出かけた。彼はインドを旅行した後に、ペルシアに立ち寄る予定であったが、インドからアフガニスタンへの入国許可を得ることができず、ペルシア旅行が実現に至らなかった。しかしながら、伊東が旅行中に携帯していたフィールドノートの内容や帰国後に行った活動をひもとけば、彼が「ペルシア」の美術に関心を抱いていたという興味深い事実に気付かされる。本研究では、伊東を「ペルシア」美術を日本に紹介した重要な人物として位置づけることを試みる。
研究成果や研究で得られた知見  本年度は、主に二つの軸で資料の調査と分析を進めた。一つ目は、伊東忠太の関連資料の調査である。伊東忠太に関しては、貴重な自筆資料が複数の図書館や資料館等に所蔵されている。本年度は、とりわけ日本建築学会、東京大学建築学専攻デジタルミュージアム準備室、山形県立図書館で伊東忠太のフィールドノート、書簡や講義ノート等の調査を行った。また、調査によって収集した資料の解読を進め、伊東が1902年から1905年の旅行中に「ペルシア」の美術や建築についてどのように認識していたのかを確認した。
 二つ目は、日本の美術商が1920年代に開催した「ペルシア」美術工芸品の展覧会に関する資料の調査である。先行研究では、この時期に「ペルシア」美術工芸品を日本にもたらした美術商として、山中商会と日仏芸術社が担った役割が指摘されている。この二つの美術商に関しては、展覧会カタログや目録等が現存しており、彼らの活動の諸相をある程度把握できる。しかし、この時期に「ペルシア」美術工芸品を展示・販売したのは、彼らだけではなかった。本年度は、複数の図書館や資料館において、新聞・雑誌記事、美術年鑑、美術家や文学者の日記等を調査し、これまでほとんど忘却されていた、村幸商店、蒹葭堂、フタバ商店という美術商の活動について明らかにすることができた。また、その成果を、論文「1920年代日本の美術商とペルシア美術工芸品の展覧会」(小野亮介・海野典子編『近代日本と中東・イスラーム圏:ヒト・モノ・情報の交錯から見る』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2022年)として発表した。
今後の課題・見通し  今後は、伊東忠太の関連資料の調査と解読をさらに進め、とりわけ彼が「ペルシア」美術の研究の参考にしていた外国語文献を特定しながら考察を行う必要がある。また、20世紀初頭の日本の美術・建築の教育の場において「ペルシア」がどのように捉えられていたのかを総合的に考察するために、当時の美術史や建築史の教科書、概説書、全集等について、それらが基にした外国語文献にも目配りをしながら調査する予定である。

 

2022年5月