成果報告
2020年度
李承晩政権期における韓国の対外政策―李承晩ラインの宣布とその影響を中心に―
- 神戸大学大学院法学研究科 博士後期課程
- 金 玧昊
私の研究内容は、李承晩政権期(1948〜60年)における韓国の対米・対日政策を軸として1950年代の日米韓関係を分析し、近現代の韓国外交・安全保障政策とその影響を検証することである。
本研究においては、「李承晩ライン」(正式名は「隣接海洋の主権に関する大統領宣言」、日本では「李承晩ライン」、韓国では「平和線」と呼ばれる)の宣言とその影響を中心に李承晩政権期における韓国の対外政策を分析した。李承晩ラインに関する先行研究に関しては、国際法の分野、また竹島/独島領域紛争に代表されるような歴史認識問題の分野では様々な議論がなされてきた。しかし、安全保障の分野においては十分に検討がされていない。のみならず、当該期韓国外交史の先行研究は、朝鮮戦争勃発や休戦協定の交渉過程、また米韓相互防衛条約の締結過程に関心が集中している。
そのような背景を鑑み、本研究では、李承晩ラインの歴史的起源を考察し、李承晩ライン宣言の背景と政策決定過程を分析し、その影響を日米韓関係の枠組みで検証した。その検証は、韓国外交史を再評価する上で極めて重要な意義を持つと考える。李承晩は、感情的で、腐敗政権のイメージが強く、親米一辺倒かつ反日感情を利用した政治家としてよく知られている。李承晩の外交政策の中で李承晩ラインの評価は重要である。その評価により、親米・反日を超える李承晩の外交および安全保障政策における国家戦略を見出すことも期待できる。それゆえ、李承晩政権期をはじめとする、戦後における日米韓関係の変遷過程を詳らかにすることによって、現在に至る日米韓関係の歴史的経緯が明らかになると考えた。
先行研究をベースに、まずこの研究では李承晩ラインの宣言における李承晩と韓国外交実務団の意見対立と調整過程を検討した。韓国の外交史料によると、李承晩ラインは実際に李承晩からではなく、外交実務団が論議し続けてきたものであった。すなわち、マッカーサーラインの撤廃後、日本の再侵略を憂慮した韓国側が何年間も準備したものである。このような実務団のアイデアに李承晩は国防線或いは防衛線という安全保障概念を加えて李承晩ラインを宣言した。それに対して日本を含め米国・英国・中華民国など様々な国から抗議があったものの韓国側の姿勢は変わらなかった。
そして、東アジア地域戦略の中で米国が日韓関係をどのようにとらえたのかという視点を加えて、李承晩ラインをめぐるそれぞれの国際戦略の変遷過程を詳細に考察した。李承晩ラインが宣言された1952年1月は、韓国にとって朝鮮戦争の休戦会談問題で難航した時期であり、日韓会談(第1次)直前の時期だったため、米韓・日韓関係から見ると韓国政府にとって特に重要な時期であった。戦後、米国は日韓両国がパートナー関係になることを望んだが、韓国は日本を競争相手として認識し日本への警戒をゆるめなかった。李承晩ラインの維持に関して、米国はもちろん日本の議会及び外務省官僚たちから批判が続いたものの李承晩は以下に述べる通り、漁業問題と防衛問題という二つの理由により、その批判を黙認した。
韓国の外交文書によると日韓会談の初期には、李承晩ラインは「漁業資源の保護のために設定したものである」と主張し、「沿岸の漁業問題による紛争を予防するためのもの」だと説明した。ところが、国際情勢の変化により、韓国政府は「韓国は休戦状況であるが事実上共産勢力と戦っている戦争に準ずる状況であるため、海上から侵攻してくる共産勢力を防ぐためには李承晩ラインが必要である」と主張して、漁業問題と防衛問題に分けて論調を進めていく。李承晩ラインは、日韓会談時の争点となるが、韓国側はその方針を譲らなかった。植民地支配・解放と占領・建国・朝鮮戦争・米韓相互防衛条約の締結という様々な出来事の中、外交上弱者の立場であった韓国は米国の援助を受けているにもかかわらず米国や日本に対して自主性を発揮した。これは国益を確保する努力の一環だったといえよう。
本研究では、李承晩ラインの宣言とその影響を分析することにより、李承晩政権の対米・対日政策過程を検証した。その過程を通じて韓国外交の姿が実際には第二次世界大戦後に形成され、維持され続けてきたことを立証した。そして、親米・反日というこれまでの見解を見直すことを試みた。当時の韓国の対外政策を、親米一辺倒そして民族主義的なナショナリズムから出発した反日と断定することは限界があり、それは日米関係の変化によって左右されるものであったといえよう。加えて、李承晩ライン宣言の根底にも、当時「太平洋同盟構想」の推進過程と同様に、米国の対日政策に対する批判が根付いていることが分かる。
さらに、今回集めた資料を解読してこの内容を考察する中で、米国による経済援助から李承晩ライン宣言に至るまでの連続性を発見した。今後はこれを通して米韓交渉の過程について分析を進めたいと考えている。また、日本国内世論の新聞記事や社説等を分析に加えたい。
2022年5月