成果報告
2020年度
学校の女子比率が学力に及ぼす影響とそのメカニズム
- 東京大学大学院経済学研究科 博士課程
- 井上 ちひろ
人々の行動は周囲にどのような人がいるかに大きな影響を受ける。自分の行動やその成果が身近な人(ピア; 英語で「仲間」の意)から受ける影響はピア効果と呼ばれており、教育経済学においては、生徒の学力が、同じ学年・クラス・班などに所属するピアからどのような影響を受けるのかが注目される。ピアがどのような属性を持つ生徒で構成されるかによって学力向上についての有利・不利があるとすれば、不利な構成のクラスに経験豊富な教員を配置するなど、教育資源の配分に知見を役立てられると考えられる。また、ピア効果の起こるメカニズムが明らかになることによって、効果的な指導法に関する示唆が得られる可能性もある。本研究では、制度上重要な生徒の属性である「性別」を切り口として、ピアの男女構成が生徒の学力に与える影響(性別ピア効果)を分析した。
性別ピア効果の立証のために、男女構成が異なる学校を比べると、その生徒同士は所属校の男女構成以外においても異なる性質を持っている可能性がある。例えば、教育熱心な家庭は、男女構成と関連する何らかの特徴を持った学校を好んで選択しているかもしれない。その場合、異なる学校の生徒同士の学力の差は、男女構成ではなく家庭の教育熱心さの違いによって生まれている可能性がある。このように、学校の男女構成と生徒の学力の単純な相関を因果関係によるものとみなすことはできないが、先行研究が提唱している代表的な推定手法の一つは、同じ学校の中の異なるコホート(同じ年に入学した集団)を比較することだ。例えば、同じ学校の中でも、昨年度入学したコホートと今年度入学したコホートの間で男女構成にはいくらかの違いがある。しかし、生徒や家庭が入学タイミングを選ぶことはできないため、2つのコホートは他の点では比較可能だと考えられる。性別ピア効果はこの方法によって推定が可能であり、海外には比較的研究蓄積がある。主要な先行研究は、女子比率が高まるほど男女どちらの生徒の学力にも正の影響があるとしている。しかし、このような効果が発生するメカニズムについては一致した見解が得られておらず、先行研究の結果が日本でも当てはまるかどうかは明らかでない。
そこで筆者は、日本の学校における性別ピア効果とそのメカニズムを明らかにすることを目的とし、「埼玉県学力・学習状況調査」を利用した研究を行っている。調査は2015年から毎年行われており、埼玉県内(さいたま市を除く)の全ての公立小学校に通う4〜6年生児童が参加している。そのため、同じ学校の特定の学年に着目すれば、上述のコホート間比較によって、男女構成が学力に与える影響を分析することが可能だ。
これまでに、ピアの女子比率の上昇による女子の学力への好影響が示されたが、男子の学力に有意な影響は認められなかった。先行研究には、女子比率の上昇(つまり男子比率の減少)は男子による問題行動の減少を意味し、授業環境を改善させると主張しているものがあるが、このメカニズムが性別ピア効果の主要な経路であるとすると、男女とも同様にそのメリットを享受できるだろう。そのため、男女間に性別ピア効果の差異が見られた背後には、女子だけに正の影響を及ぼす別の要因、あるいは男子への正の効果だけを打ち消すような負の要因があると考えられる。
メカニズムを検討するため、児童質問紙の回答情報を分析に用いた。本調査には問題行動や暴力について尋ねる質問は無いが、「学級は落ち着いて学習する様子でしたか」のようにクラスの雰囲気に対する評価を尋ねる質問が含まれている。この質問への回答に対する性別ピア効果を推定した結果、女子比率の上昇により、女子は肯定的な回答をする傾向を強めるが、男子による評価はそれほど大きな影響を受けていないことがわかった。また、女子児童は、女子比率が上昇すると、学習上の困難に直面したときに友達に勉強のやり方を聞く傾向を強める一方で、男子児童においては、勉強するときに友達と答え合わせをする傾向が弱まり、学習習慣の悪化も確認された。これより、女子比率が上昇すると女子は友人とより協働して学習するようになるものの、男子の学習へのコミットメントは低下することが示唆される。この仮説が正しいとすると、クラスの落ち着きという点でピアの女子比率が高いことが有利だとしても、友人との協働という観点では、同性のピアが多いことの利点が大きいと考えられる。
これまでに、ピアの男女構成が男女に異なる効果をもたらす経路が存在することが示唆されたが、友人との協働がその経路であるという結論を下すにはさらなる検証が必要だ。また、児童の学力分布による性別ピア効果の異質性など、これまでに十分に検討しきれていない点もある。今後の研究では、これらの点に留意して性別ピア効果のメカニズムを解明し、政策的に活用できる知見を得ることを課題としたい。
2022年5月