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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2019年度

美的魅力を処理する神経メカニズムの脳磁計を用いた検討

大阪市立大学大学院医学研究科 研究生
保子 英之

 私の専門は、「神経美学」(Neuroaesthetics)という新しい研究分野である。ここでは、これまで哲学(美学)の分野で研究されていた美的経験のメカニズムを、ヒトの中枢神経を観察することにより明らかにしようという試みが行われている。とくに私が興味を持っていることは、なぜヒトにはこのような美的経験のメカニズムが備わっているのか、それは生きるために必要なのか、という問いである。進化人類学の分野には、「人間に美的経験を引き起こす神経メカニズムは、遺伝的に規定されるような原始的なものである」と主張する一派がいる。「美」といわれるとわかりづらいが、これを「怒り」という感情に置き換えて説明する。有名な実験に、他人が怒っている表情をヒトに見せたとき、たとえそれを“見る者の意識に上らないように見せた”場合でも、怒りを感じることに関連する脳部位の活動がみられるという研究報告がある。つまり、本人には(見えたのがあまりに一瞬の短い時間だったなどの理由で)怒った表情を見たという意識がなくても、そのヒトの怒りの知覚に関連する脳の活動は発生しているということになる。これは、他人の怒りを検出する神経メカニズムが原始的であることを示している。現代では考えづらいが、他人が怒っている、ということはもともと個体の生存にとってのアラームであり(例:敵に襲われた仲間が怒っている)、それを鋭敏に検出できることが個体の生存に有利になるため、怒りを脳内で処理する神経機構が非常に敏感である、ということである。本研究では、美的経験においても同様の現象が成立するかどうかを検証することで、ヒトにとっての美的経験の進化的重要性を論じたいと考えた。
 このための手段に、私は脳磁計という機器を選んだ。脳の活動を計測する技術は複数あり、そのいずれにも得手不得手がある。私の選択した脳磁計は人体へ完全に非侵襲な計測技術で、脳神経活動に伴って発生する信号を直接計測できるという長所があるが、機器を利用できる施設が少なく、解析も専門的で煩雑であるという短所がある。この脳磁計の利用ができないことが、研究推進のボトルネックとなってしまった。脳磁計を保有し、稼働させているのは国内でも両手で数えられる程度の基幹病院であるが、それらはすべて新型コロナウイルス感染症との戦いの最前線基地となっている。本研究のような、「いま行う必要がない」研究は、最前線基地ではなるべく控えることが社会的な要請である。したがって、本稿を執筆している2021年5月現在、未だ実験を実施できていない。
 実験計画にこのような誤算があったことを本財団への中間報告書へ記載したところ、文芸評論家の三浦雅士氏より以下のコメントを頂戴した。
 『コロナ・パンデミックそのほかの影響で、実験などができない場合、むしろ、中間報告前半に書かれている自身の体験をもう少し掘り下げて綿密に書いてみてはどうでしょうか。~(中略)~その体験を、それこそ現象学的に、もう一度、復元してみてはどうでしょうか。』
 私はこのコメントを拝読して、大変うれしくなった。社会人研究者としての私にとって、本研究はいわば副業である。日銭を稼ぐことと全く結びつかない(反対にその足かせとなる)このような研究を続ける動機となっているのは、中間報告書で記載した私の十代での経験であった(本報告書では割愛する)。私の心を動かした経験を初めて文章として纏めたものに対して興味を持ってもらえたことは、私は間違っていなかったのだと認めてもらえているようであった。そして、この経験を纏めて他人に追体験してもらうことには、社会的な意義があると改めて考えるきっかけとなった。
 以上の経緯から、本研究における今後の課題は、以下の2点であると考える。
 1.実験を実施し、結果を研究論文として纏めること。私は、実験を実施するために、新型コロナウイルス感染症の影響が比較的小さい地域、かつ脳磁計を保有する施設の近隣に転居した。新しい施設での研究倫理審査も通過し、2021年夏までに実験が開始できる見通しである。
 2.この研究の動機にあたる私の経験を、書籍として纏めること。三浦氏以外にも、中間報告書に興味をもっていただいた編集者の方がおり、その方に声をかけていただいた。1-2年内に新書として出版される見通しである。
 さいごに、サントリー文化財団には、本研究を経済的に支援していただいたのみならず、私の経験を書籍として纏めるという新しい活動のきっかけと動機を与えてくださったことに深謝する。研究活動と書籍の執筆活動を推進し、財団からの期待に応えられるような成果として必ず世に送り出すことを約束する。

 

2021年5月

サントリー文化財団