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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2019年度

北米辺境から見る19世紀初頭アメリカの社会不安と自意識

神奈川大学外国語学部 特任助教
遠藤 寛文

研究の目的・方法・意義
 本研究課題の目的は、19世紀初頭の米西国境問題に注目することを通して、建国期アメリカの辺境問題がアメリカ人の自意識と政治文化にいかなる意味をもたらしたかを歴史学の立場より明らかにすることにある。従来の米国史学は、欧州とアメリカの違いを強調するあまり、まるで独立革命後の北米から欧州帝国が消え去ったかのように歴史を描いてきた。しかし、実際のところ、初期のアメリカは、北の英領カナダ、西のスペイン領ルイジアナ、南のスペイン領東西フロリダやキューバによって取り囲まれていた。建国期のアメリカ人が恐れていた対外的脅威とは、大西洋の彼岸にいる欧州列強というよりも、むしろ北米内部で隣接する欧州植民地や彼らに扇動された敵対的先住民の存在を意味していたのである。19世紀初頭には第二次米英戦争(1812年–1814年)が勃発するが、その背景には、カナダやフロリダといった危険な隣接地域の存在がアメリカの安寧を脅かしているとする認識の広まりがあったのである。
 本研究は、米西両国の間で領有権論争が起きていたスペイン領西フロリダ植民地に対する米国介入の事例(1810年)に注目する。仏皇帝ナポレオンのスペイン本国占領(1808年)により、新大陸各地のスペイン植民地で革命運動が活発化するなか、メキシコ湾岸に位置する西フロリダでも自治運動・革命運動が本格化した。この結果、バトンルージュ(現ルイジアナ州都)のスペイン当局が独立派の住民によって襲撃され、西フロリダ共和国が樹立された。この動きを注視していたジェームズ・マディソン第4代大統領は、西フロリダ領の併合を宣言し、米国正規軍部隊を派遣して領土を接収したのである。
 かつて、この西フロリダ併合政策は、米国政府の巧妙な世論工作による外国領土侵略の嚆矢として解釈されることもあった(Smith, 1983)。しかし、『ジェームズ・マディソン史料集成』主席編者の歴史家J・C・A・スタッグが指摘する通り、マディソン大統領は、米国の西フロリダ領有権を信じていたものの、合法性を重視する観点から、米西両国の合意なき領土獲得は望ましくないと考えていた。にもかかわらず、マディソンが一方的な領土併合を決断したのは、独立国家を樹立した現地住民がどのような者たちなのかがわからず、現地に多くいると言われていた元ロイヤリスト(英国王忠誠派)など、米国に敵対的な集団が領土をイギリスに譲り渡すことを危惧したためだったのである(Stagg, 2009)。イギリスの介入に対する懸念が米国政府による西フロリダ併合宣言の決定的に重要な背景をなしていたことは、確かに政権指導部および国務省内の書簡史料より確認することができる。
 しかしながら、現地の情勢については、なおも未知のことが多い。いったい西フロリダの現地住民とは何者であり、何を望んでいたのだろうか。スタッグも含め、先行研究は西フロリダ問題をアメリカ膨張主義(American expansionism)というありがちな観点から捉えてきた。しかし、西フロリダには、フランス領、イギリス領、スペイン領時代という欧州帝国領としての過去があったことを軽視すべきではない。現地史料を読み解くなかで浮かび上がってくるのは、欧州帝国の境界域であった西フロリダに移り住んだ多様な出自をもつ人々の帰属意識の曖昧さや、彼らの土地権利をめぐる現地の複雑な利害関係である。このため、本研究では、従来の一国史的な歴史叙述を批判する北米大陸史(continental history)という新しいアプローチに依拠しつつ、史料の分析を進めた。

研究成果
 史料分析の結果、米連邦政府と現地住民の間に相当な認識の齟齬があったことが判明した。マディソンらが恐れた親英的な住民と結託したイギリス介入の噂にはほとんど実態がなく、むしろ現地住民の多くは自らの安全と財産の保護を最重視していたのである。また、米国内から武装市民が侵入する動きが活発化していたことから、米西現地当局はこれを防ぐために互いに連携する行動をとっていた。情報伝達の手段が限られていた当時、ワシントンと辺境の間に生まれた認識の齟齬は、連邦政府の政策判断にも少なからぬ影響を及ぼしていたと結論しうる。

今後の課題と展望
 本研究は西フロリダの事例研究にとどまっており、より大きな時代像の中に研究を位置づける作業が不足している。もともと私は、アメリカの政治文化において、いかにして「人民」という観念が絶対的な権威をもつようになったのかという問題に強い関心を抱いてきた。研究を進めるなかで、19世紀初頭のアメリカで見られた「脱欧化」という現象の重要性に気づき、西フロリダ問題に取り組むようになった経緯がある。今後は、本研究を通して得られたマディソン大統領の北米辺境論やアメリカ社会の欧州観を主軸に据え、19世紀にアメリカニズムとも呼ばれる政治文化が確立していく過程を視野に入れつつ、博士論文の完成を目指したい。

 

2021年5月

現職:防衛大学校総合教育学群 専任講師

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