成果報告
2019年度
戦争神話の形成過程――1944年8月の対馬丸遭難を事例に
- 文筆業
- 宮武 実知子
本研究は、疎開船・対馬丸の遭難事件(昭和19年8月)を事例として、悲劇がどう語られ、「歴史的事実」となり、やがて疑義を挟めぬ「神話」として形成されるのかを明らかにすることを目指した。対馬丸事件は沖縄県内ではきわめてよく知られ、近年では、沖縄戦における住民被害の象徴のような位置づけをされている。毎年6月におこなわれる平和学習の定番テーマとなっており、次世代へと継承される「あの戦争の記憶」である。
研究メンバーは、現地・沖縄から北海道までの全国各地に散らばり、分野も社会学・郷土史・宗教史・政治学・建築文化史など多岐にわたる。大学所属の研究者以外(文化財団職員・神職・在野の文筆業)や外国出身者も含んで、広い視角が期待できた。
【研究の進捗状況と成果】
研究費が交付されるや、さっそく活動を開始した。沖縄に集合して、75年目の対馬丸慰霊祭へ参列し、問題意識と方針を確認した。続いて、奄美大島の宇検村の慰霊祭を調査して、当時を記憶する世代も含めた地元の人々に聞き取りをした。
9月、これらで得た知見を共有する研究会を大阪でおこなった。申請したメンバー以外にもオブザーバーの先生方や編集者や若手研究者を招いて、活発な討論が行われた。
11月には、対馬丸との比較を目的に、メンバー2名が台湾の高雄へ赴き、日本の軍艦を祀った廟の慰霊祭を調査した。また、3年がかりでアプローチしてきた対馬丸の引率教師だった女性から自宅訪問を許されて、活字にはなりえない長い回想を詳細に聞き取ることができた。いずれも貴重な知見を得ることができたと自負している。
それらを共有して討議する機会を2月・4月・6月に予定していたが、新型コロナ騒動により移動と会合ができなくなり、沖縄在住者も高齢者の訪問ができなくなった。中途半端な状態で助成期間を終了せざるをえず、まことに遺憾でならない。
【得られた知見と今後の課題】
時間をかけて聞き取った当事者の経験談には、資料館や活字に保存された「経験者の語り」には収まりきらない豊かな複雑さを含む。すでにパターン化が進む「戦争の記憶」に、こうした豊かさと多様さをどう確保していくかが戦史研究全体の課題であろう。
奄美大島ではごく最近になって対馬丸の慰霊祭が始まったが、実際に当時を実際に知る人は1人しかいない。台湾・高雄の遭難船舶慰霊祭に至っては、誰一人として当事者がいない。これらの慰霊祭は、慰霊の目的以上の意味(村おこし、政治的異議申し立て)を帯びて熱心に行われている。どちらも事件からちょうど75年。近い将来、「あの戦争」の直接の体験者が誰もいなくなる日本の「戦争の記憶」にとっても示唆的であった。
単なる戦争の記憶の継承にとどまらず、「当事者性の暴力」とでも呼ぶべき事態こそが今後の課題ではないか、とメンバーの韓国人研究者から指摘された。沖縄問題であれ韓国との問題であれ、当事者の語りは異論を許さない暴力性と権力を帯びる。史実と矛盾することさえある「当事者性」をどう超えていくか、歴史の語り口そのものに取り組んでいく必要がある。
今回のグループ研究は、きわめて不本意ながら、中途半端な段階で終了せざるを得なかった。未解決の「宿題」をメンバー有志でこれからも問い続けて、沖縄本土復帰50年の節目までを一つの目標期限としてまとめ上げたい。
2020年9月