成果報告
2019年度
インターネット時代のオーラル・ヒストリー――次世代による基盤整備と刷新
- 東京大学先端科学技術研究センター 助教
- 佐藤 信
本研究プロジェクトは、インターネットとその関連技術を積極的に摂取している海外の先進事例から学ぶことで、現在の日本におけるオーラル・ヒストリー(以下OH)が抱える諸問題を解決することを目的としてきた。具体的には、諸研究領域のOHの次世代の担い手を糾合することで、領域横断的かつ長期運用可能なネットワーク構築を行い、その共同作業によってインターネット時代に即したOHの公開に資する法的基盤を含む基盤を整備することを目指した。後ほど、その成果については報告する。
ただし、このコロナ禍のなかで(それが過渡的であるのか、継続的であるのかは別として)OHを含むインタビューはどのようにあるべきかが問われることになった。本来はOH実施後の公開におけるインターネット利用を主眼としていた本研究プロジェクトも、「インターネット時代のオーラル・ヒストリー」と銘打つ以上、否応なくこの問題に取り組むことになったので、先に現時点での知見を公開しておきたい。
OHにおいては、歴史の証言者が高齢であることが多いため、とりわけ感染防止に注意を払う必要があり、ウェブ会議ツールなどを利用することには合理性がある。だが、結論を先に示せば、インターネットで既存の形式のOHを実施することは困難で、実施する場合には相当の工夫が必要になる。
第一にはインタビュイーがしばしばこうしたツールに習熟していない。第二に、インタビュイーにとって居心地のよい空間を設定しにくく、またインタビュアーとの信頼関係の構築が困難である。第三に、ウェブ会議ツールを用いる場合には語りに様々な変化が生じることが懸念される。たとえばインタビュイー側は、ウェブ会議ツールで容易に録画されるのを心配するかもしれないし、自分の映像を見ながら話すことになるため自らの語りに批評的になるかもしれない。こうした困難を鑑みれば、十分な距離をとるなど感染対策を採ったうえで既存の対面インタビューを行う方が望ましいというのが我々の暫定的な結論である。もっとも、信頼関係構築のために充分に事前に連絡をとったり、また細かい質問票を用意しておいたり、ヒアリングのように細かい応答を重ねたりすれば、成果を挙げることは可能であると思われ、その手法は仮にコロナ禍後に日常が旧に復したとしても遠方の証言者とのインタビューには利用できる知見であることから、今後もさらなる検討が俟たれる。
さて、以上のコロナ禍への対応でも明らかなように、OHの担い手が領域横断的に連携し、知見を共有し合う体制は十分に構築でき、それは日本のOH全体の発展に大きく資する。組織ベースの拠点形成ではなく、個人ベースのネットワーク形成を企図したことも正しかった。何となれば、2018年度に「人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成」に採択されてから、メンバー7名のうち実に6名が新たな所属に、うち1名は海外に移籍している。不安定かつ流動的な現今の若手研究者の雇用環境のなかでも、このネットワークは機能し続けることができている。
法的基盤の整備の社会実装については、新型コロナウイルス感染拡大に伴う上記の課題発生のため現時点で公開まで漕ぎつけることはできなかったものの、着実に進行させることができた。デジタルアーカイヴなどに優れた知見を有する法律事務所の協力を得て、「オーラル・ヒストリーのための聞き取りに関する合意書」をほぼ完成しており、遠からず公表できる見込みである。併せてその利用に関するガイドラインなども公表する予定であり、これを多くの潜在的なOH関係者に提供することで、当初の目的であったインターネット時代における基盤整備と刷新は着実な一歩を刻むことができると確信している。
2020年8月
※現職:東京都立大学法学部准教授