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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2019年度

ブランドから「物語」を紡ぐ仕掛けとしての地理的表示

学習院大学法学部 教授
小塚 荘一郎

地理的表示(geographical indications: GI)に関する法制度は、知的財産の一種とされているが、知的財産としてはかなり特殊なものである。歴史をさかのぼると、ヨーロッパの中でもとくにフランスを中心に発達してきたワイン法がその起源をなす。しかし、ワイン法は、単に「まがい物」を排除してきただけではなく、生産量や生産方法の統制をも内包する制度であった。そして、そうであるがゆえに、保護の対象となる地域の画定などにおいて、しばしば政治的な背景を伴っていた。

フランスのワイン法において鍵となる概念が「テロワール」である。そこには、「土壌、気候、地形、標高といった自然環境要因こそがワインの品質に特徴を与えるのだという考え方」が存在する(蛯原健介『ワイン法』〔講談社、2019〕21頁)。しかし、フランスのワイン法が依拠してきたテロワール(産地)の概念は、上記のような歴史的、政治的な事情を水面下に持ちつつ形成されてきた「物語」であったのではないか。そうだとすれば、ワイン法によって発達してきた原産地表示は、本来、生産活動にインセンティヴを与える知的財産としてのブランドとは性質が異なる制度であったように思われる。

ところが、TRIPs協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)をめぐる交渉の中で、EUの働きかけにより、これが「地理的表示」として制度化され、知的財産権となった。その際、「テロワール」は「社会的評価」に置き換えられ、あたかも商標権の機能の一つである宣伝広告機能に類した効果を持つかのように位置づけられた。その結果、地理的表示制度は、一定地域の生産者全体を権利者とした商標制度である団体商標制度と機能的な代替物ととらえられるようになり、また、ヨーロッパ域外の途上国や新興国で地理的表示を活用しようとするケースも現れるに至った。「テロワール」という物語は、ヨーロッパの歴史を離れて「漂白」され、かえって「ブランド」から紡ぎだされる存在へと変質したのである。知的財産制度全体から見ると、TRIPs協定は、所有権のアナロジーにより民事法上の私権として形成されてきた知的財産権を産業・通商政策のツールへと変質させた転換点であったが、「漂白」されたテロワールを新興国に生み出す地理的表示制度は、そうした産業・通商政策としての知的財産制度の中に、奇妙にも適合し、定着していった。

しかし、ブランドとしてみるとき、商標と地理的表示は同じではない。そもそも、商標権者は商標の品質を一定に維持する義務を負わず、自らの利益に従って管理し、必要があれば変更することができる。団体商標であれば、品質の管理について団体としての意思決定とその実施(生産者団体があればその規約等による管理)が必要になるが、権利者である団体が決定するならば、品質の変更や改善、現代化などは自由である。これに対して、生産者統制の制度という歴史を引きずる地理的表示制度では、生産基準書(生産方法書)は確立した社会的評価に裏付けられていなければならない。このことは、さまざまな産品や生産手法等に応じて、団体商標制度と地理的表示制度(さらには個別生産者の商標)のうち、いずれがブランド構築のツールとして最も適合性を持つかという問題が成り立つことを示唆している。

日本の場合、伝統的な知的財産法の理論は、商標の宣伝広告機能、言いかえればブランドとしての価値を、法制度上意味のあるものとは認めてこなかった。そうした中で、「ブランド政策」の一環として、まず平成18(2006)年の商標法改正により地域団体商標制度が導入され、次いで、平成26(2014)年には特定農林水産物等の名称の保護に関する法律(GI法)が制定されて地理的表示制度も創設された。従って、「ブランド」が持つ意味を法律的にも改めて位置づけ直すとともに、上記のような産品や生産手法に応じた制度間の使い分けを検証し、より適切な第一次産品のブランド戦略を発見するためには格好の実験場となっていると言える。しかし、この点に関する検討は、新型コロナウィルス感染症による研究の遅れのため、いまだ十分ではない。この点は、今後の活動の中で検討していくこととしたい。

2020年8月

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