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研究助成

成果報告

2019年度

中華人民共和国のガバナンスと民兵――毛沢東政権期を中心として

東北大学大学院法学研究科 博士課程後期3年の課程
高 晓彦

 本研究は、中国の地方政府公文書館に所蔵されている内部資料の収集・分析を行うことにより、毛沢東政権の統治を地方から支えた民兵の役割を明らかにするものである。
 毛沢東は、その個人独裁が動揺するたびに大躍進や文化大革命(文革)といった急進的な社会主義路線を打ち出し、大衆の動員と支持を獲得する政策によって政敵から独裁者としての権威を守ってきた。先行研究は、政権上層部の権力闘争という切り口から、毛沢東によるこの急進路線の発動の背景と動機を解明してきた。これに対して本研究は、毛沢東が発動した急進路線の実施を可能にした制度的要因を明らかにする。そのために本研究は、中華人民共和国建国初期に、自衛団体を前身として整備された民兵制度に着目する。本研究の仮説は、「数千万人にも達した民兵が毛沢東の個人独裁を支える重要な権力基盤になっており、その民兵による暴力行使が急進路線の実施を可能にした」とする。本研究の分析は上海市档案館、奉賢区档案館、浦東新区档案館に保管されている民兵制度の関連文書を主な論拠とする。
 申請者は2020年11月に中国に渡り、現在まで資料調査を各地で実施している。これまで収集した資料から中華人民共和国が建国された1949年から大躍進運動初期の1959年までの時期における民兵の活動実態について詳しく把握することができた。以下二点は、今回の調査から得られた新たな知見の概要である。
 一つ目は、建国初期に民兵制度が整備された際に、建国以前から存在した自衛団体の吸収・再利用が広範におこなわれたという点である。
 申請者のこれまでの研究では、内陸部の貴州省において「匪賊反乱」に対応するために基層社会に派遣された党幹部たちが自衛団体を吸収・再利用する形で、民兵制度を整備したことを明らかにしてきた。今年度は、貴州省における民兵形成のパターンが大都市近郊でも見られるのかを確認するために上海市郊外での資料調査に専念した。
 上海市档案館に所蔵されている内部文書を調べた結果、まず1949年夏以降、社会が混乱していた際に、共産党上海市委員会が各地に党幹部を派遣し、自衛団体に対して積極的に資金と武器を供与したことがわかった。それに加えて、治安が一旦回復した1950年代後半以降、市党委員会が郊外各区に人民武装部を新たに設け、同組織のもとで旧来の各種自衛団体を「民兵」に改編し、一括管理をおこなうようになったことが分かった。上海市では、1949年から1952年までの一時期、区の公安分局長(警察署長に相当)が人民武装部の部長を兼任していたが、最終的には貴州省と同様に、上海市でも人民解放軍幹部が部長を務めるようになった。換言すれば、民兵は1952年以降、人民解放軍によって一元的に管理されるようになったのである。
 二つ目は、民兵が大躍進時期において、住民を急進路線に強制的に動員する道具として、人民公社の党幹部に利用された点である。
 1958年、毛沢東は農村地域における私有財産をすべて共有化するなど、極めて強引な政治社会運動を発動した。こうした急進的かつ強引な政策は末端レベルにおいて如何に実行されたかを、今回の資料調査で重点的に調べた。
 調査対象地域は上海市の郊外に位置する奉賢県である。同県の内部文書から、民兵が大躍進運動期に人民公社の党幹部に動員され、政策に同調しない農民を吊し上げて殴打したり、人民公社単位で組織された「労働改造隊」に送り込み「労働教養」を課したりする対応を頻繁に行っていたことが分かった。一連の暴力行使により、年間1148人の農民が死亡した。
 さらに民兵による暴力行使が発動された経緯を調べると、民兵は主に居住地の人民公社の党組織の命令で動員されたことがわかった。奉賢県の各人民公社の党組織は、運動強行を求める県の党委員会の強い圧力の下、民兵を動員し住民の私有財産の没収に踏み切った。一方、県人民武装部が人民公社の党幹部に呼応する形で、大躍進運動初期に解放軍中央の指示に基づいて「民兵代表大会」を開き、そこで民兵による積極的な運動参加を呼びかけたこともわかった。
 大躍進政策を住民に押付けるためになぜ民兵による暴力行使という方法が選ばれたのか。その重要な制度的背景は以下の通りである。大躍進運動以前、人民公社の党幹部は服従しない住民に政権の政策遂行を強制させる方法として、県の警察による摘発ならびに検察と人民法院による審理といった手段を用いていた。しかし、奉賢県検察局の内部文書を調べた結果、県公安局や検察局が必ずしも人民公社の党幹部の期待した通りに住民の摘発・審理を行わないことが大躍進以前に常態化していたことが判明した。これは人民公社の党幹部の司法制度に対する不信の醸成につながった。それゆえに、大躍進時期において民兵を用いた直接的な強制力行使が共産党と解放軍中央に黙認ないし承認されると、人民公社の党幹部は住民に政策を押付けるために民兵を常用するようになった。
 このようにして大躍進期においては、司法制度が機能不全に陥った。興味深いことに、検察局と人民法院は大躍進後も地位を回復せず、機能不全のまま文革を迎え、農村地域では党の政策を遂行するにあたって民兵の暴力を用いることが慣行化した。
 上記の資料調査に基づく具体的な研究成果は、2020年6月に開催されたアジア政経学会春季大会の部会における「中華人民共和国建国初期における中国人民解放軍の民兵制度の形成:貴州省東北部を考察の中心に」という報告および同年7月の基層社会研究会における「建国初期の民兵と復員軍人:1950-1957」という報告によって発表した。また、前者の内容は、研究論文として学会誌『アジア研究』においても発表する予定である。


※現職:日本学術振興会特別研究員DC2(受入機関:東北大学大学院法学研究科)

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