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研究助成

成果報告

2019年度

異文化的性質を含む作品の鑑賞における諸問題――文化的盗用の議論を手がかりに

東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
ジン リン

 本研究は、文化的性質―鑑賞者が特定の文化と関連づけて捉える性質―を含む作品が鑑賞される際に生じる諸問題を明らかにする。文化的性質は、作品に価値をもたらしうる。オリエンタリズム、ジャポニズム、プリミティヴィズムなど、特に西洋の鑑賞者は異文化のエキゾチックさに価値を見出してきた。また、文化的性質が作品に取り入れられることによって、芸術に革新がもたらされることもある。しかし、近年ではこのような慣習は、文化的盗用―マジョリティ文化側の制作者がマイノリティ文化の性質を扱う行為、およびそれが道徳性や真正性に反するとする見方―として問題視される傾向にある。1980年代半ばに台頭したこの議論は、帝国主義によってマイノリティ文化が疎外・搾取されたことを批判的に捉えるポストコロニアルの文脈に起因し、視覚芸術、音楽、文学、ファッションなど幅広い文脈における作品や行為を対象とする。これにより、近年では外部者である制作者が文化的性質を作品内で扱った場合、不適切であると判断されむしろ作品の価値を下げてしまう可能性が出てきたのである。だが一方で、文化の多様性やマイノリティの権利が重視されるようになった現代では、マイノリティ文化を背景に持つ制作者が自身の文化背景を反映させたアイデンティティアートがもてはやされている現状もあり、文化的性質に価値が見いだされる傾向がなくなったわけではない。以上に鑑みれば、制作者や鑑賞者の文化的な相関関係が作品の価値判断に影響を与えうることは明らかである。しかし、単一の鑑賞者層を想定しがちな美学の領域において、人々の多様な文化背景から発生する鑑賞の実態が十分に考察されてきたとはいえない。本研究では、文化的性質によってもたらされる価値が(1)制作者と鑑賞者の文化的な立場に影響されること、(2)認知的価値であると同時に美的価値でもありうること、そして(3)異なる文化的集団に提示された場合に文化に対する認識の衝突が発生しうることを以下の通り明らかにした。
 (1)文化的性質が作品にもたらしうる価値は、相対的客観性をもって発生するものである―すなわち、特定の価値観を共有する集団内の限りにおいては一定の客観性を持って享受されうる価値である。例えばエキゾチックという表現には〈異国風の〉という意味があるが、鑑賞者が作品からエキゾチックさを享受するためには、作品から連想した文化に対して自らが外部者の立場に立っていると認識する必要がある。鑑賞者が自らを当該文化の内部者であると認識している場合、文化的性質からエキゾチックさは感じにくいだろう。つまり、文化的性質は、当該文化を異文化として捉える鑑賞者層に対して特にその価値が発揮されるといえる。だがその際、制作者の立場が当該文化の外部者であると鑑賞者が判断したならば、制作者は文化的盗用に従事したとみなされ、作品は道徳性や真正性に反するとしてマイナスにとらえられうる。一方、制作者が当該文化の内部者であると鑑賞者が判断すれば、エキゾチックさや革新性としてプラスに捉えられうる。このことから、制作者の文化的な肩書きが鑑賞者に先入観を与えることにより作品の評価が左右されていることがうかがえる。なお、ここでいう内部者や外部者という制作者の文化的立場は、鑑賞者が自身の文化的立場との比較において判断するため、絶対的ではない。
 (2)伝統美学の観点では、芸術は本質的に美的価値―優美や崇高など感覚的に享受されうる価値―を持つとされてきた。しかし、従来の意味での美的価値を持たない芸術作品がめずらしくなくなった現代では、知識や論理的思考に基づく認知的価値をも美的価値として認めようとする傾向がある。本研究もこの見方に追随し、文化的性質がもたらすエキゾチックさ、革新性、道徳性、真正性などの価値を認知的価値として捉えたうえで、それらは美的価値でもありうるという立場を取る。
 (3)文化的性質は、それが提示される文脈に応じて改変される場合がある。例えば文化Aの料理が文化Bにおいて提供されるようになれば、具材や味付けが文化B風に変わったりする。しかし、内容が異なっているにもかかわらず、文化Aの料理の名前が使われ続けていることがほとんどであるため、同じ名前の下に異なる料理の認識が同時に存在することになる。したがって、AとBの鑑賞者の間には真正性の対立が発生しうる。
 最後に、今後の見通しを述べる。本研究は本質的に、特定のカテゴリと関連づけられる性質がいかに鑑賞者に先入観を与え、対象の価値判断に影響しうるかを明らかにしようとするものである。したがって、本研究で構築した理論は、文化以外のカテゴリにも応用可能なものである。今後は、様々なカテゴリにおける性質の流動が鑑賞に与える影響を考察し、より包括的な鑑賞モデルを確立することが研究目標である。


2021年5月 ※現職:日本学術振興会特別研究員DC2(受入機関:東京大学大学院人文社会系研究科)

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