成果報告
2019年度
ケネディ政権のアジア太平洋政策の模索
- 京都大学大学院法学研究科 特定助教
- 西村 真彦
研究の動機、意義、目的
本研究は、アメリカ・ケネディ政権(1961-63年)によるアジア太平洋政策の模索によって、アジア太平洋地域の西側諸国間でどのような秩序が生じたのかについて、一次史料に基づき明らかにすることを目指す外交史・国際関係史研究である。
これまで1950年代後半の日米安保体制を中心に、自身の研究を進めてきた。この時期、日米間では安保改定によって日本の自衛隊海外派兵の可能性が少なくとも当面は潰えたことが明確化し、また、アジアでNATOのような集団防衛体制を築くことは現実的でも望ましくもないという結論がアメリカ政府内で出ていた。この後にケネディ政権は発足したが、その時点でアジア太平洋地域の安全保障を確保するための方策として、取りうる政策の選択の幅が狭まっていたことになる。
一方でアメリカは、イデオロギー的に先鋭化し、時に軍事的手段の行使も辞さない当時の中国を脅威に感じていた。それでは、ケネディ政権は、アジア太平洋地域の安全や安定を実現するために、どのような外交を行ったのだろうか。以上のような問題関心から、本研究に着手した。
ケネディ政権期のアジア太平洋政策として、新太平洋共同体と呼ばれる構想が存在したことが知られてきた。日本、豪州、インドネシア、フィリピンといった、地域内の同盟・友好国間の政治的・経済的団結の強化を通じて共産主義に対抗することを目的とする構想だと考えられてきたが、実現しなかったこともあり、詳細は明らかになっていなかった。そこで本研究では、この構想の詳細を明らかにすることを通じて、当時の西側安全保障体制がどのようなものであったのか、また、それを維持するためにアメリカを中心とした西側諸国でどのような試みがなされ、限界はどこにあったのか検討することを目的とする。
近年、中国が政治的・経済的・軍事的に台頭する中で、アジア太平洋地域ではそれを踏まえた新しい地域内協力の在り方が模索されている。本研究は1960年代前半のアジア太平洋地域構想の実態や挫折の原因、そして歴史的意義を改めて探るものだが、このことは現代のアジア太平洋における地域内協力の模索を捉えなおし、歴史的視点から示唆を提供することにつながると考えている。
研究成果、得られた知見
今回の研究で分かったのは、ケネディ政権の同構想は、中国への対抗を目的の一つとしつつも、むしろ主眼はアジア太平洋の重要な同盟国である日本と豪州の動揺を抑制することにあったことである。日本は西側陣営から離脱して中立主義的外交路線を取る恐れがあると考えられており、豪州は英国の欧州経済共同体(EEC)加盟申請によって伝統的に重視した英連邦に不信感を持つようになっていた。当時の日豪はアジア太平洋地域に緊密に結び付いているとはいえず、地域や西側陣営内に両国を組み込み、孤立を防ぐための手段として、この構想が浮上したのだった。アメリカにとって、外部からの脅威に対抗するためには、まず西側陣営内部の安定を図る必要があったと言えるだろう。
これに対して豪州は、英国のEEC加盟問題の先行き不透明感や、日本に強い西側陣営色を付すべきではないとの見解もあり、消極的な態度を取った。アメリカは、アジア太平洋の地域協力は自発的意思に基づくことが成功の鍵で、自身は側面支援に留めるべきだと考え提案に留めて強い推進は行わず、結局、1962年冬に日本のOECD加盟の公算が高まり、英国のEEC加盟も失敗したことで、日豪の孤立という問題は落ち着き同構想も棚上げになる。その後、ケネディ政権末期に新たな地域構想が登場するが、このときには日豪の孤立という弱さへの対応策としてではなく、各国の積極性や強さを活かすという性格に変化していた。
今後の課題、見通し
2020年度は新型コロナ問題により、海外史料調査ができず、また日本国内でも外交史料館の利用制限や文書公開審査の遅れの発生などにより、史料収集に支障が生じた。そこで今後も史料収集に取り組み、とりわけ日本側の反応や日豪関係の影響、日豪それぞれが当時提起した別の地域構想との関係に関する考察を深めながら、以上で示した見方が妥当であるか検討する。そして学会・研究会などで報告を行い、最終的に論文として公表することを目指す。
また、同構想の歴史的位置づけについても検討したい。自身がこれまで取り組んできた1950年代にも、アメリカ政府は日本の中立化という懸念を抱えていた。しかし、日本・東南アジア間貿易の促進を除くと、日本を地域内に取り込もうというアプローチは希薄だったように思われる。その原因と、ケネディ政権でアプローチに変化が生じた理由を検討したいと考えている。また、ケネディ後継のジョンソン政権はアジア太平洋の地域機構設立に積極的に取り組み、具体的な成果も生んだが、ケネディ政権の経験がどのように活かされたのかについても長期的に検討していきたい。
2021年5月 ※現職:京都大学法学研究科附属法政策共同研究センター 特定研究員