成果報告
2019年度
ポストコロニアリズムとエコクリティシズムからみるジョージア近代文学
- 東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
- 五月女 颯
ポストコロニアリズムは、植民地(後)の社会や文化を論ずる人文系の研究潮流である。ロシア研究においてもポストコロニアルな研究はなされてきているが、特に文学研究では、主としてロシア語作品を研究対象とするがゆえに、ロシア側からの視点に留まってしまう傾向にある。ポストコロニアリズムの理論家たちが植民者と被植民者の複雑な影響関係の論考に注意を払ってきたことを踏まえれば、旧ソ連圏のポストコロニアリズムを考える上で、ロシア側からのみならず、支配を受けた側の視点もまた重要である。
本研究が研究対象とするのはジョージア文学である。南下政策を進めたロシア帝国は、19世紀にコーカサス地方の支配を確立した。19世紀ロシアにとってコーカサスは最大の「他者」であり、プーシキンやトルストイなども同地域を題材に作品を創作している。前述の通り、従来の研究はこれら作家の作品の分析に軸足を置いてきたが、本研究は、ジョージア文学においてロシアの支配がどのように描かれているのかを論考するものである。
19世紀後半に活躍した作家に、イリア・チャヴチャヴァゼ (1837–1907) という人物がいる。ジョージアの民族運動を率い、文芸活動のみならず銀行創設や識字運動を率いた知識人である。「旅行者の手紙」(1861–71) や「彼は人か?!」(1863) といった文学作品で、彼はロシアによるコーカサス支配のイデオロギー「コーカサスの啓蒙」を批判し、ロシアは西欧諸国に比べると蒙昧なままであると皮肉を向けた。他方で、彼は啓蒙や進歩といった概念を否定するのではなく、反対にそれらを用いることで植民地状況からの解放への道筋を模索した。このようなアンビヴァレントな態度は、ポストコロニアリズムの理論家ホミ・バーバの用語を用いれば「擬態(ミミクリ)」「茶化し(モックリ)」として捉えることができ、きわめて植民地的な戦略だと言える。
もっとも、このような態度にも一定の問題点がある。それは、このような戦略の下、たとえ植民地解放を果たしたとしても、啓蒙や近代性を唯一の尺度として自他の階層を再構築することで、結果として帝国主義や植民地主義を再演してしまうことである。このことについて、理論家フランツ・ファノンの主張をもとにエドワード・サイードが著書『文化と帝国主義』の中で言及している。ファノンやサイードは、植民地解放がなされる時、それまでの運動を支えてきた民族主義が「[真の]ヒューマニズム」へと転換されねばならないと主張している。
彼らのこの主張に対し、比較的新しい批評理論であるポストコロニアル・エコクリティシズムの議論が興味深い視点を提供してくれる。エコクリティシズム(環境批評)は、文学と環境の関係を論考する文学研究の分野として存在感を増しているが、近年、それとポストコロニアリズムの交点や協働を探る議論が活発となっている。なかでも本研究が注目するのは、人種差別と種差別の共通点に関する議論である。前者は白人(に限らないが)が有色人種を、後者は人間が動植物(非人間(ノンヒューマン))を、それぞれ差別・迫害することを許す共通の階層関係があり、従って文学作品における(迫害される)動植物の表象は、ある程度、植民地(後)状況において迫害される人間の暗喩として読むことができる。もっとも、動植物を、たとえば擬人法を使って表象することは、動植物を単なる寓話に落とし込み、その主体性を無視してしまう危険もある。重要なのは、そうした危険を念頭に、作品の中で擬人法がどれほど戦略的に用いられているかを考えることである。
チャヴチャヴァゼの子世代とも言える国民的詩人に、ヴァジャ=プシャヴェラ (1861–1915) がいる。叙事詩「蛇を食う者」(1901) は、主人公が地獄で自殺を企図し、悪魔の食糧である蛇を食うも、死の代わりに自然の声を解する能力を得るエピソードから始まる作品である。詩の中で自然の中には、(食糧や薪など)人間による自然の利用に抗議する者もいれば、進んで自らを差し出す者もいる。自身の生死を自らの意思で決めることを意味するこのエピソードは、ここで自然が自由に思考する行為主体であることを含意している。詩は、人間と自然との抜き差しならぬ生命のやり取りを描き出し、彼らの間に対等な関係が存在することを暗示するが、このことはまた宮澤賢治の作品にも共通する同時代的なテーマでもある。本研究ではこれを「パンヒューマニズム」と呼ぶ。というのも、ヒューマニズムが人間に限定される概念であるとすれば、ヴァジャや賢治の作品では、それが自然(非人間)にまで拡張されているからだ。このパンヒューマニズムは、人間と自然との対等な関係を意味すると同時に、人間社会における相互理解や敬意、愛情といった関係の別の表れであり、ジョージア(のみならず民族文学一般)のポストコロニアリズムに新たな視座をもたらすものとなるだろう。
2021年5月 ※現職:日本学術振興会 特別研究員PD(受入機関:京都大学大学院文学研究科)