成果報告
2018年度
分離独立問題の解決:住民投票利用の理論的根拠の探求
- ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス国際関係論学科 博士課程
- 藤川 健太郎
近年、例えばスコットランドや南スーダンなどのように、分離独立問題を民主的に解決するために、多くの事例で住民投票が用いられている。一見、主権の帰属という重要な問題を解決するために市民の意思を直接反映できる住民投票を利用することは、「最も民主的」で当然にも思われる。しかし、本当にそうだろうか? 本研究は、分離独立問題解決のために住民投票を実施する、という現代の常識の相対化を目指した。
分離独立問題を民主的に解決するとしても、主権の問題が重要な争点となる選挙を経て選ばれた議会代表による意思表示もまた、民主主義の要請に沿うはずである。住民投票には通常、二つしか選択肢がなく、本来多様な民意を分断し、市民の間の対立を助長する、との批判もある。実際、議論を重ねて議会の大多数が賛成する意思決定よりも、かろうじて半数を上回る市民が賛成する意思決定の方が、本当に「民主的」だろうか? さらに、歴史的には、主権の問題を住民投票で解決する、という考え方は当然ではない。例えば脱植民地化の時代には、国連は議会代表による意思表示も受け入れていた。こうした観点からは、なぜ、分離独立問題の民主的な解決に選挙(間接投票)ではなく住民投票(直接投票)を用いる必要があるのか、問う意味がある。
分離独立問題解決のための住民投票実施という常識を相対化することは、住民投票利用が増え続けている今日の世界において、本当に住民投票が必要なのか、という問いに、政策立案者や市民を立ち戻らせるという意味で、大きな意義がある、と考えた。
本研究は、上記の問題意識に基づき、暴力を伴う分離独立紛争の解決のために、中央政府の同意の下で用いられる主権を巡る住民投票に的を絞って、何故住民投票を用いるのか、そして住民投票の実施は紛争の解決や平和構築に役立つのか、を検討した。具体的には、エリトリア(1993年)、東ティモール(1999年)、南スーダン(2011年)の住民投票を研究対象とした。紛争解決に大きな役割を果たした英国、米国、ノルウェーに加え、インドネシア、東ティモール、エチオピアにてフィールドワークを行い、国連幹部経験者、大使経験者、閣僚経験者を多く含む70名程のエリートに対するインタビュー調査を行った。
インタビューを通じて、これら三事例における住民投票利用の根拠が明らかになった。特に重要な点は、これら三事例では、それぞれの地域で民主主義の経験がほとんどなかったことと関連する。まず、間接投票の問題点として、選挙で選ばれた代表が、買収されたり脅迫されたりして、主権の決定に際して、市民の意見を代弁しない可能性が懸念されていた。民主主義が根付いている国であれば、主権という重要な問題において、市民の負託を裏切った政治家は、その政治生命を断たれるであろう。しかし、民主主義体制が脆弱な地域では、そのような抑止は十分に働かず、代議員が市民を裏切る可能性がある。さらに、独立か否か、を二者択一で問う住民投票は、シンプルであるがゆえに、識字率が低く、紛争のために教育を受ける機会もなかったこれら地域の市民にとってもわかりやすい。その点において、住民投票は、市民の意思をもっとも確実に反映できる方法であった。
次に、住民投票の平和構築への影響である。これら三事例においては、上記で述べたように、住民投票は、市民の意思をもっとも明確に表す手段としての価値があり、その明確な意志が明らかになったことで、紛争の解決に役立った。特に、その自由・公正性を担保するために国連などの国際アクターが関与したことにより、中央政府も、住民投票の結果を尊重せざるをえなかった。他方で、国連や西欧諸国は、分離独立に至るまでの独立派の団結を過大評価し、独立派は住民投票後も団結を続け、新独立国の民主化も難しくないだろう、と考えたため、新独立国に対して、過度の楽観視が生じてしまった。この結果、エリトリアには国際社会から十分な民主化圧力がかからず最終的に独裁化し、東ティモールからは国連が早期に撤退し2006年危機の勃発につながった。南スーダンでは、指導者間・民族間の融和が十分に促進されず、2013年以降内戦に陥った。本研究によって、住民投票は、もともとの分離独立紛争の解決には貢献するものの、新独立国内部の平和構築には負の影響もあることが明らかとなった。
本研究の検討事例においては、民主主義が根付いていなかったため、間接投票ではなく、直接投票を用いる意義が明確にあったといえる。しかしこの点は、民主主義国における住民投票実施の論理を説明しない。民主主義国における住民投票利用は、どのような論理に基づいており、果たして擁護するに足るものなのか、それとも、単に政治指導者の利益のためのものなのか、より広範な事例分析が必要となろう。
2020年5月