成果報告
2018年度
国際課税協力の新潮流――OECD/G20主導のBEPSプロジェクトの政治過程分析
- 北海道大学大学院法学研究科 博士後期課程
- 津田 久美子
研究の動機・目的
国際課税のルール形成は、近年、劇的な変化を遂げている。その背景には、国際的な租税回避行為が広く政治問題化したことがある。2008年の世界金融危機後に緊縮財政を布いた諸国では、公共サービスの削減に不満を抱いた市民が多国籍企業による租税回避を問題視し、大々的なデモや不買運動を展開した。2016年にはいわゆる「パナマ文書」が公開され、政治家や著名人の租税回避行動がつまびらかにされた。こうした問題認識の高まりを背景に、各国税制の「抜け穴」をふさぐための多国間協調が講じられつつある。これはまさに大変容である。なぜなら、国際課税の分野では各国が「課税主権」を強固にもつために、協調がきわめて難しいと言われてきたからである。それでは、なぜ新たなルール形成が進んだのか。誰が、どのようにそのルール形成に介在していたのか。国際課税の分野で新たに形成されつつあるグローバル・タックス・ガバナンスの政治的力学はまだ十分に明らかにされていない。本研究は、その一端を解明することを目的に据えた。
研究の方法・意義
本研究は分析対象として、国際課税の分野においてもっとも包括的な取り組みであるBEPSプロジェクトの政策形成過程を取り上げた。BEPSとは「税源浸食と利益移転(Base Erosion and ProfitShifting)」の略称で、多国籍企業の租税回避行動によって各国の税源が失われ、国外に利益が移転してしまう問題を指す。2012年にOECDの租税委員会にて立ち上げられ、G20の公的承認を経て、2015年10月にBEPS最終報告書が公表された。この間、OECD租税委員会で議長国を務めていたのは日本である。そこで本研究は、議長国日本の立場や役割に注目して検討することを通じて、国際課税の国際協調に関する新しい分析アプローチを打ち立てることを試みた。
研究で得られた知見
本研究によって得られた知見は大きく分けて二つある。
第一に、必ずしも租税回避に積極的ではないものの、その対抗措置の策定に消極的な立場をとる国の存在がBEPS交渉の行方を大きく左右した。その代表例が日本である。日本の多国籍企業は相対的には積極的な租税回避を実施していないと一般に認識されている。それは他方では、租税回避スキームを駆使して利益を上げる企業間競争において不利な立場に置かれていることを意味する。そのため日本企業は、新しい国際課税制度によってますます不利益を被る事態を避けたいという利害関係をもっていた。そこで主に経団連が専門家チームを立ち上げ、BEPSプロジェクトの政策形成に国内外の複数ルートから関与していった。たとえば租税回避スキームを特定するために求められる、企業から各国当局への情報提出について、日本は情報漏洩リスクやコストの観点から情報提供の範囲や手法を限定的なものにすべきだと強く主張し、交渉を経て、BEPS最終報告書で採用された。この日本の立場は、必ずしも租税回避を目的としていないにもかかわらず租税回避スキームの不透明性を維持する方向にも寄与した。国際課税は「多国籍企業」対「国家」の対立軸で括られることも少なくないが、より複層的な行動原理が見出された。
第二に、BEPSプロジェクトの完遂にはOECD租税委員会議長国日本が果たした役割が大きかった。全会一致採択をとるOECDにおいて各国が合意に到達するためには、「ビューロー」と呼ばれる租税委員会の幹部会における事前討議が重要であった。このビューローの中心にいた議長国日本は、他のビューローメンバーとともに意思決定方法の改革を行い、専門的・技術的な議論を行う各作業部会へOECD租税委員会がトップダウンで指示を与えることにより、迅速かつ効率的な交渉が実現された。この制度改革の影響はこれまでほとんど注目されてこなかったが、本研究は資料調査と聞き取り調査によってその重要性を裏付けるにいたった。
今後の課題・見通し
以上二つの発見から、国際課税の多国間協調の分析には、①国家・非国家主体の利益追求/利害関係、②制度的要因の分析視座が有用であることが示唆される。これは、課税主権間の権力関係に重きが置かれることが多かった従来の国際課税協調の分析アプローチに修正を迫る視点をもつ。今後は、これら二つの観点を内包する分析枠組みを他の事例・実践に適用し検証することを通じて、国際課税の多国間協調の理論的アプローチを練り上げていくことが課題となる。
国際課税分野では「デジタル課税」の交渉が現在(2020年5月時点で)進行中であり、BEPSプロジェクトも数年以内にレビューの時期を迎える。国際課税の新しいルール形成はこの先も長きにわたって続き、世界・各国経済に広く影響を与えていくことが予想される。その新潮流の端緒となったBEPSプロジェクトの歴史的な意義は大きい。そこで将来的には、近年の新潮流を歴史的に位置づけ考察することが重要となる。この長期的目標に向け、本研究を深化・継続させていきたい。
2020年5月