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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2018年度

ユーモアの文化的差異――フィクション作品の経験と翻訳の技法

東京大学大学院学際情報学府 博士課程
岡沢 亮

研究の動機・目的・意義
 「アメリカンジョークは日本人にはわからない」などの言い回しに見られるように、ユーモアや笑いに関しては、個人による趣味嗜好の差異が大きいだけにとどまらず、国や文化といった所属集団によっても大きく趣味が異なると考えられがちである。しかしその一方で、日本人として日本で生まれ育ったがアメリカのコメディ映画やドラマを好む人もまた決して珍しくない。
 では私たちは、異なる国や文化の下にあると思われるような作品のユーモアを、いかにしてユーモアとして理解し享受できるのだろうか。そのとき、翻訳はユーモアの理解にどのように寄与しているのだろうか。本研究は社会学におけるエスノメソドロジーという人々の実践の方法を解明する方法論的立場から、アメリカのコメディ映画とその日本語字幕・吹替を対象に、この問いに取り組む。
 それによって、私たちが日常的に経験しているが捉えどころのないユーモアという現象について、まさにそれを経験する人々の志向に即して見通しの良い記述を与えることを目指す。本研究は、社会学においてしばしばインタビュー調査やアンケート調査によって、人々の属性(年齢、文化、性別、教育など)に基づくユーモアの趣味の差異を解明することが目指されてきたのに対して、むしろ異なる文化に属するユーモアの理解がどのように可能になるのかを明らかにする点で、既存のユーモアや笑いをめぐる社会学研究を補完する。また、作品自体の中にその受容や経験を可能にする基盤があるがゆえに、作品経験や受容の分析は作品自体の分析から切り離すことはできないことを示し、社会学やメディア研究における作品受容の分析方法論に対しても示唆を与えることを試みる。

研究成果や得られた知見
 コメディ作品における相互行為のユーモアの理解可能性は、作品の作り手と受け手が持つ「規範的な期待」を利用することで成立している。ここでの規範的期待とは「AであればBであるはずだ(あるいは、Cするべきだ)」という形式を持ち、それに反する個別事例の存在によっても覆されず保持されるような命題である。
 とりわけ、相互行為の中で特定の人種・民族・宗教などに関するカテゴリーをめぐる規範的な期待に違反する振る舞いが行われることで、当の相互行為がユーモラスなものとして理解可能になっていた。例えばアメリカのコメディ映画の中で、白人の少年がフェイクIDを作る際の偽名として「モハメッド」を選択するという振る舞いは、それが「アメリカ人」や「白人」カテゴリーに結びつき難い名前である点において、カテゴリーに関する規範的期待に反している。この規範と振る舞いの不一致は、なぜ嘘(フェイク)と見破られやすい偽名を選択するのかと他の登場人物を呆れさせると共に、映画の観客にとってはユーモアの源となっている。
 そして、日本語字幕や吹替といった翻訳は、アメリカにおける人種や民族に関する規範的な期待やステレオタイプを補完する役割を果たしうる。すなわち、ユーモアの享受に必要な前提的知識を与える役割を担うのである。
 しかし、日本語字幕や吹替は知識の補完によってユーモアの理解しやすさを向上させる一方で、元々の英語におけるユーモアの巧みさを打ち消してしまう可能性もある。
 例えば少なくともアメリカ英語においては、自らと異なる人種や民族の人々に対して「you people」と呼ぶことは差別的なニュアンスが強く出るため、使用が避けられる。このことは日本語字幕や吹替にとってジレンマを生じさせる。一方で、これを「お前たちのような奴ら」と日本語に直訳してしまえば、それが特定の人種や民族に言及した発話であることは必ずしも明瞭に伝わらないかもしれない。しかし他方で、これを「黒人」や「人種」といった明示的な表現によって翻訳すれば、日本の視聴者には理解しやすくなるが、人種に関する非明示的表現の使用によって支えられているようなユーモアの巧みさは伝わらなくなってしまう。ここに、字幕や吹替による異なる文化や言語のユーモアの理解可能性の向上と、その巧みさの低下との間のトレードオフ関係が見て取れる。

今後の課題と見通し
 本研究ではユーモアの理解を可能にする人々のカテゴリー使用をめぐる規範的な期待に焦点を当てたが、エスノメソドロジー・会話分析研究が明らかにしてきたように、相互行為には順番交代などをめぐる様々な規則や規範が存在する。そしてこれらの規則への違反もまた、フィクション作品内相互行為のユーモアの産出と関連していると考えられる。また、こうした規則への違反は、キャラクターの怖さや「異常性」を示すギミックとしても使われうるだろう。今後はこうした相互行為の規則への違反とその効果をさらに解明していきたいと考えている。他方で、ユーモラスな相互行為の字幕吹替に関しても、より多くのデータを収集し、その体系的な仕組みと上記トレードオフ関係の具体的ありようを明らかにすることを目指す。

 

2020年5月

現職:明治学院大学社会学部 非常勤講師

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