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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2018年度

近代日本における建築「創作」の誕生-分離派建築会と芸術・思想の交点から

京都大学大学院工学研究科 准教授
田路 貴浩

本研究は、近代日本において建築「創作」という観念が誕生した経緯とその展開の解明を目的としている。建築分野で初めて主題的に「創作」を唱えたのは、1920年に結成された分離派建築会6名の建築家たち(山田守、石本喜久治、堀口捨己、森田慶一、瀧澤眞弓、矢田茂)である。日本の近代建築は西洋の様式模倣から始まったが、明治末から日本独自の様式「創造」が求められ、大正期に入ると建築の「創作」を主張して分離派建築会が登場する。当時すでに芸術分野では創作版画協会(1918)が設立され、思想分野では和辻哲郎が「創作の心理について」(1917)を著していた。分離派建築会こうした芸術・思想の動向を貪欲に吸収し、作家の芸術意欲による制作を主張するに至る。本研究では、こうした1920年代前後の建築家たちの動向について、芸術や思想との交流から学際的に調査している。

2018年度は、2016年度に開始した「分離派100年研究会 連続シンポジウム」の第5回、第6回の企画開催を中心に、資料の調査を行い、その解釈をめぐって議論を重ねた。

○ 連続シンポジウム 第5回「分離派登場の背景に見る建築教育と建築構造」

2018年11月3日 東京大学本郷キャンパス工学部1号館
発表者:加藤耕一(東京大学、建築史)、角田真弓(東京大学、建築史)、堀勇良(元文化庁)、宮谷慶一(清水建設)

分離派建築会メンバーたちが学生時代を過ごした1910年代後半、東京帝国大学建築学科では意匠系科目と構造系科目の選択制が導入されていた。このことから従来の研究では意匠派と構造派というものを設定し、分離派建築会メンバーたちを意匠派に位置付け、構造派との対立関係のなかで、彼らの活動のモチベーションや先進性を論じてきた。

しかし、この時代を単純な二項対立によって捉え、分離派をただ「意匠派」という括りで理解することは妥当ではない。東京帝国大学における建築教育の実態を詳細に調べると、「意匠派」と「構造派」の科目選択の差はほとんどなかったことが分かる。また「構造派」を代表する野田俊彦の「建築非芸術論」も、そのもととなる卒業論文「鉄筋混凝土構造と建築様式」は教授陣から与えられた統一課題であった。建築家たちの関心は新しい構造にもとづく新しい様式の創造へと向かっていたのであり、かならずしもこれまでしばしば言われてきたような「構造か、意匠か」という二元論的対立があったとは言えないのである。

○ 連続シンポジウム 第6回「分離派建築会の造形 ─ 建築と彫刻の交差 ─」

2019年5月25日 西陣産業創造会館(旧京都中央電話局西陣分局)
発表者:田中修二(大分大学、美術史)、大宮司勝弘(東京家政学院大学、建築史)、菊地潤(建築家)、天内大樹(静岡文化芸術大学、デザイン史)

分離派建築会のメンバーたちは建築の芸術性を主張しつつ新しい建築を模索し、そのための手がかりを様々な方面に求めていた。その一つが彫刻であった。西洋から導入した様式建築では、彫刻は重要な装飾要素であった。しかし、1910年に議院建築の様式をめぐって建築学会討論会「我国将来の建築様式を如何にすべきや」が開催されると、新しい国民的建築様式の創造が唱えられるようになり、彫刻装飾に独創性を求める動きが現れる。一方、1910年代には鉄骨造や鉄筋コンクリート造の導入が始まると、躯体と装飾の区別があらためて認識されるようになり、建築家たちは露わな躯体に気づきはじめる。

そうした建設技術の革新を契機とした建築様式の刷新の動きの中で、分離派建築会メンバーたちより10歳年長の後藤慶二は彫刻家ロダンに惹かれていく。ロダンは肉体の内部に隠された生命的力の表現を追求していたが、後藤はこの考えを建築に持ち込む。構造力学が対象とする物理的力とは異なる、建築の躯体が発する力の印象を表現としようと考えていたのである。それは後藤の最初の作品でかつ代表作となる豊多摩監獄(1915)に認めることができる。夭逝した後藤のこの着想は分離派建築会へと受け継がれ、鉄筋コンクリートによる新しい造形が試みられていくことになった。

本研究の成果の公表として、分離派建築会発足から100周年にあたる来年2020年に分離派建築会の回顧展を企画している。また、これに合わせて論考集も刊行する予定である。

2019年8月

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