成果報告
2018年度
アジアにおける医学思想伝達の比較史(西アジア・イスラム医学におけるギリシャ・ローマ医学と東アジア・日本医学における中国・韓国医学)
- 東京大学 外国人特別研究員
- ムハンマド アブドル ムジーブ カーン
本研究はイスラム医学と日本医学を事例とした比較研究である。10世紀、平安中期の日本では、現存する最古の医学書 『醫心方』が丹波康頼(995年没)によって編集された。古代の医学を伝え、平安京で大陸の医学がどう消化されたかを示す『醫心方』は、様々な理由で抜群に重要な医学書である。康頼はそのほぼ全体を引用文で構成している。しかし、従来の多くの研究は、古代中国から中世アジアの医学を見ることに関心を集中させて、康頼の作業を深く考察していない。また、同じく10世紀頃にアブー・バクル・アッ・ラーズイー(925/932年没)が『医学集成』(アル・ハーウィー・フィッ・ティッブ)という書籍を古代ギリシャ・ローマの筆者の引用文で構成した。両文明は近隣文明の成熟し理論化された医学伝統を受容し整理して、独自の伝統を作り上げた。
しかし、近隣文明に関する多くの研究はその近隣文明との関係を重視し、新生医学伝統を独立したものとしてではなく強いて近隣文明と同一化して考察してきた。近世と近代日本で例えると西欧医学文化がどう消化されたかとの同じ視点で見られている。中世の資料の少なさが理由とされていることもあるが、康頼とラーズィーの引用文で集成されている医書を分析することにより、どのような書物や人物を通して医学を考えたのかを明らかにできる。そのため、この研究では康頼やラーズィーとその周辺の医学関係者の医学世界を紹介して、両文明とその先駆者たる近隣文明とのあいだの医学伝統の相違点を明確にする。また、比較の観点から、同じ作業に従事した康頼とラーズィーの著作の類似点と相違点を通して歴史における文明間伝達の普遍性と共通点に光を当てる。
本研究では、各文明の思想伝統とその発展において両者がどのような位置付けと意義を持ったかを検討した。特に、両者が作成する各書と両者が使用する伝統を識別した。例えば、『醫心方』の撰述は中韓伝統の受容が可能にした成果だが、その過程は『醫心方』の一面のみである。これを基に医学を広く考え、医学教育とその発展に如何なる傾向が見えるかを調べた。両文明を考察するとき、先駆たる近隣文明における学術医学の教育を考慮した。イスラム文明では11世紀まで情報を集成する「類書」を作る傾向がみえる。近隣文明だったギリシアやローマなどで千年にわたり構築された古典医学伝統の全体がイスラム文明の積極的な翻訳活動の成果で一期にアラビア語に訳されたことが、類書の執筆を促した。他方で、日本では10世紀の『醫心方』以外、集成書の記録がない。日本は直接漢文を使用し、翻訳せずに原文で古典医書に触れた。この研究は編著で非西洋における比較医学教育の事例史として掲載される予定である。又、イスラム文明における思想発展についての研究も行った。詩文がどのように哲学の普及を促進したかを検討した。その結果、散文の詩文化により情報の暗記と普及のしやすさが哲学の促進につながったことを確認できた。こちらの研究も編著の一章として本年中に出版される。
『醫心方』を焦点にした研究書の出版準備も進めた。上記の研究を基に東アジアにおける医学と日本での医学思想の発展を取り上げ、研究書を完成させた。同様に、イスラム文明との比較研究は『醫心方』と『医学集成』を焦点にした企画書を準備し、本年大学出版会に提出する。
日本とイスラム世界の比較研究の副産物として、両文明が如何に近代科学と思想を輸入し自国化したかを検討する研究も始めた。両文明は中世期に近隣文明の思想伝統を受容したのと同様に、近代期にも外から思想伝統を新たに輸入した。近代期の受容の仕方と相違点を考慮し、二回発表した。一つ目は福沢諭吉の教育と女性に対する発想を調べて、筑波大学で開催されたヨーロッパ日本研究協会の定例会で発表し、二つ目はアラブ・イスラム世界と近代日本が自由主義やジェンダーという近代思想を如何に受容し使用したかを、ロンドンのアーガー・ハーン大学開催の言葉と法に関する会議で発表した。
今後は中世期の比較研究を継続し、さらに近代化の比較も取り入れ、思想伝統の発展に関する普遍性を疑問視し、両文明の中世期と近代期での受容方法も比較する予定である。
2020年5月 現職:東海大学教養学部 非常勤講師