成果報告
2018年度
中華人民共和国成立初期の「自己宣伝」:麻薬撲滅という成果と密輸問題
- 東京大学大学院総合文化研究科 博士後期課程
- 徐 偉信
本研究は1950年代から60年代初頭の中国国内の麻薬撲滅キャンペーンと、国際社会における中国の麻薬密輸疑惑を中心に、中華人民共和国政府による政治宣伝と政権イメージを構築するための活動を明らかにする。特に中華人民共和国はそれらの問題に対し、いかなる「自己宣伝」を通じて、国際社会や自国民に正統政府として主張したのかを考察し、戦後初期東アジア冷戦の内政面と外交面と中華人民共和国による宣伝との関連性を把握する。
麻薬の取り扱いに関わる問題は、中国研究にとって避けられないテーマである。麻薬問題は政権正統性と密接に関わり、支配者による麻薬取締政策とその効果が政権の正統性を示す一つの根拠であるとも言えるだろう。従来の革命史研究は、中国共産党の政治運動による麻薬取締の「反帝国主義」と「反封建官僚」という二点の特徴を強調し、中華人民共和国政権の革命性を指摘する。近年の中国近現代史研究はこうした革命史研究を批判しながら、中国近現代史における麻薬取締を国家統合や国民国家構築などの内政から分析しているが、麻薬問題に関する外交面の議論は決して十分とは言えない。また、国際関係史や地域研究の学者は国際社会における麻薬問題の論争に着目し、中国を含む東アジア諸国の麻薬政策から現れた国際システムの構築と変容を論じる。ただし、各国の政府の取り組みによって効果が異なり、利益と理念をめぐる紛争がしばしば発生したこともあり、各国の内政状況も総合的に検討する必要がある。
本研究は、国民の感情、支配者の政治的意志、国際社会の規範が絡み合う麻薬撲滅と密輸問題から、中華人民共和国成立初期における新政権の「自己宣伝」を中心に、新政権が正統性を国内外へ示す過程を明らかにしようとしている点が独創的である。研究の方法として、大きく2つある。一つはいままでの中華人民共和国の政治史研究を踏まえ、歴史学のアプローチから地域社会における中華人民共和国の政治宣伝の実態を把握する方法である。もう一つは、国際紛争の当事国の内政と外交を結びつけ、外交文書と地方公文書に基づいて、多元的視角で立体的中華人民共和国の政治宣伝を検討することである。そこで、本研究は国際連合、日本、中国、台湾の公文書を利用し、麻薬撲滅に関わる中華人民共和国の政治宣伝に注目し、新政権の宣伝が国民や国際社会に新政権に対する信頼を持たせようとした歴史の過程を分析する。
この一年間の研究で得られた知見は主に下記の三つである。一つ目は当時中華人民共和国がいかに麻薬撲滅を新政権の成果として宣伝したかを明らかにし、麻薬撲滅が国民に良いイメージを抱かせる宣伝工作の一環であることを解明した。これは中国地方公文書館や図書館で保存される麻薬撲滅に関する資料を収集して、特に麻薬消費と物流の中心都市の麻薬撲滅実態が分かるような公文書、地方新聞、麻薬生産地の地方公文書、民間人に対する取材から得られた知見である。二つ目は中華人民共和国外交部、中華民国外交部の開示文書から、国共双方が麻薬問題を相手の正当性を攻撃するために利用し宣伝工作を行ったことを解明し、戦後中華人民共和国の麻薬撲滅と国際社会における中華人民共和国の麻薬密輸疑惑は国共内戦の延長線の性格があることを提示した。三つ目は、国連文書と日米の外交文書を利用して、東アジアにおける麻薬密輸問題の東アジア冷戦の関係を検討した。当時、国連の中国代表権を有しない中華人民共和国政府の代表は国連組織の会議に参加することも困難であった。そのため、社会主義陣営国家が中華人民共和国の代わりに国連の諸会議で代弁する方法を用いた。こうして、冷戦陣営の対立が一層激しくなるなか、中華人民共和国の麻薬密輸疑惑をめぐる国連の議論は、両陣営の紛争とも結びついて、次第に拡大していったことを提示した。
研究の内容または論文の一部は、中国国際関係史のフォーラム(上海・2019年7月)、「海洋史と東アジア国際関係史」学術会議(上海・2019年8月)、サントリーフェローシップ中間報告会(東京・2019年11月)、アジア政経学会定例研究会(東京・2019年12月)などの日本国内と国外の学術会議で報告し、コメンテーターの先生方から貴重なコメントを頂いた。
今後はこれまでに得られた知見をいかして、政治外交史における、政治宣伝の位置づけを検討し、中国共産党の政治宣伝から中国国内の政治運動、東アジア冷戦の形成などの政治外交史分野の課題を議論する。また、「政治宣伝」の方法から生み出す中国近現代史研究の新しいアプローチと国際関係史研究の新たな作法をまとめ、本研究の成果をアウトプットする。研究の内容を洗練した上、日本語、中国語または英語で研究内容の一部を加筆し修正して、日本国内と海外の学術誌に投稿することによって本研究の成果を世界各地の研究者に紹介したい。
2020年5月