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研究助成

成果報告

2018年度

20世紀初期から21世紀初期までのラテンアメリカ文学者による、日本古典文学の翻訳とその時代背景

東洋大学生命科学部 非常勤講師
マヌエル・アスアヘアラモ

研究の動機と意義
 私の専門分野は、翻訳論(トランスレーション・スタディーズ)の視点から見た、現代のラテンアメリカ文学を研究することである。学部生時代に比較文学を副専攻にして以来、私の研究関心は常にスペイン語圏と世界文学の関係に向いていた。
 2008年に留学で来日し、日本で日本文学を学び始めると、ラテンアメリカから見た<日本文学>と、日本で学んでいた<日本文学>のイメージの間に大きな差があるように感じ、その理由を追求した結果、私の修士論文は、現代日本とラテンアメリカの小説家を比較する内容となった。
 修士論文作成時に、私が使っていた多くの研究資料には、ラテンアメリカの文学者たちが20世紀に日本文学に関心を持ち、日本文学をスペイン語に翻訳することがしばしばあったことが記されていた。日本から遠いラテンアメリカで、日本語の原文が読めない文学者たちが、いかに日本文学をスペイン語に訳したか。これは、今までの先行研究であまり研究されてこなかった問題であると同時に、スペイン語と日本語が読める私には非常に魅力的な研究テーマに見えたため、博士論文のテーマをこの現象にすることに決めた。


研究目的
 2018年度の私の研究目的は、二つあった。ひとつめは、アルゼンチンの短編小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが遺作として残した翻訳作品『枕草子』のスペイン語訳を分析し、その制作過程を明らかにすることだった。ふたつめは、コロンビア人の小説家ガブリエル・ガルシア=マルケスが川端康成の小説『眠れる美女』を下敷きにして書いた小説『わが悲しき娼婦たちの思い出』を分析し、その制作過程を明らかにすることだった。ボルヘスは20世紀の世界文学を代表する作家として今もなお評価が高く、ガルシア=マルケスも同様に、80年代にノーベル文学賞を受賞するなど今も高い人気を誇る作家である。これらの偉大なラテンアメリカ文学者が日本文学の作品を翻訳、あるいはアダプテーションした現象の背景を明らかにするのが2018年度の私の研究の目標だった。


研究成果・研究で得られた知見
 長い間、ボルヘスによる『枕草子』のスペイン語訳は、ボルヘス夫人のマリア・コダマとの共訳であることが知られていた。コダマは、日本人の父を持つアルゼンチン人のハーフであり、晩年のボルヘスが日本文化に大きな関心を示した理由の一つとして認識されている。コダマは日本語が堪能ではないことから、彼女とボルヘスが一緒に書いたと認識されてきた清少納言の『枕草子』のスペイン語訳は、フランス語訳や英訳からの重訳であることが以前から他の先行文献において指摘さている。しかし、当時のボルヘスのインタビューなどを徹底的に調査しても氏が『枕草子』へ一度も言及していない事実からヒントを得て、私はアルゼンチンで80年代初頭に刊行された日本人コミュニティ向けの雑誌を調査して、コダマがすでに80年代に『枕草子』のスペイン語訳を書いていたことを発見した。つまり、2004年にボルヘスの遺作として発表された『枕草子』のスペイン語訳は、ボルヘスの作品ではない可能性が大きいということをはじめて指摘することに至った。
 また、前年度の夏にアメリカに赴いて資料収集を行い、前述したガルシア=マルケスによる川端康成の作品のアダプテーションについての資料を多く手に入れた。その資料調査の結果、ガルシア=マルケスのその小説は川端からのエピグラフから始まるなど影響を受けた痕跡がいくつかあるものの、小説の最初の原稿を確認してみるとガルシア=マルケスの若い頃を題材にした作品だったことが確認できた。


今後の課題・見通し
 今後の研究課題としては、ウルグアイの国民的な詩人マリオ・ベネデッティが死去直前に書いた俳句作品集に所収された作品を分析し、21世紀のスペイン語俳句について考察することである。スペイン語の母音や音節構造が日本語のそれとかなり似ていることから、俳句は20世紀初頭から数多いラテンアメリカの文学者たちの注目を浴びていた詩形だった。その人気は今もなお続いているため、スペイン語俳句の進化とその代表作について一層考えたい。
 その後の研究方針として、海外文学輸入という現象の方向をラテンアメリカから日本に変えて、1970年代以降に日本に紹介されたラテンアメリカ文学の作品とその翻訳を題材にすることを想定している。特に関心を持っているのは、1980年代のガルシア=マルケスのノーベル賞受賞を皮切りに日本で人気を博したラテンアメリカ文学の特徴と、それが形成した日本における<ラテンアメリカ文学像>の形成プロセスであり、この点に焦点を当てていきたいと思う。


2020年5月

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