成果報告
2018年度
フランス中世のパネル型聖遺物容器研究――《リブレット》を中心に
- 東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
- 太田 泉 フロランス
1、研究の意義、目的
本研究は、14世紀後半にフランス王シャルル5世によって註文され、王弟のアンジュー公ルイに贈られた聖遺物容器《リブレット》(フィレンツェ大聖堂博物館蔵)について、包括的な議論を行いその性質を詳らかにすることを目指すものである。本作は、パリのサント・シャペルに安置され、フランスの王権を支えてきた一連のキリスト受難に関わる聖遺物を収めたパネル型の容器であり、後期中世の金細工作品の白眉ともいえる美的価値を有しているが、制作地のフランスを離れ15世紀以降一貫してイタリアに留まったためか、その重要性に比してふさわしいだけの研究関心が十分に払われて来なかった観が否めない。
また、《リブレット》がどのような類例作品の系譜上に位置付けられ、いかなる機能を有していたかを明らかにすることを通じて、西欧で制作されたパネル型聖遺物容器の歴史的展開が整理されるとともに、例えば本作の中央パネルにも見られるように、図像と聖遺物の関係という論点についても、従来的な互恵関係に加えて、相互の同一化という新たな議論を展開することが可能となる。また、本研究は、サント・シャペルの聖遺物をはじめとする、君侯による聖遺物所有の具体的なあり方についても新たな知見をもたらしうる。また、未だ体系的に論じられることのなかった宮廷コレクションにおける宗教的な金細工作品についての包括的研究として、国内外における中世金細工研究に一定の貢献をなしうるものと思われる。
2、研究の進捗状況
報告者はこれまで、《リブレット》を造形的な側面および機能的な側面からそれぞれ分析し、造形的側面としては、ビザンティン帝国で古くから制作され、十字軍や君主間の贈与等で西欧に持ち込まれたスタウロテクと呼ばれる聖遺物容器の系譜上に位置付けられることを明らかにした。また機能的な面では、その中央パネルに施された図像が「アルマ・クリスティ」と呼ばれる、当時個人的祈念に多く用いられていた図像の一つであることを論じ、本作もまたアンジュー公ルイが当該目的のために用いたことを指摘した。本作は、その極めて小さな寸法や、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂に保管される類似する聖遺物容器を収めるための更なる容器からも携帯用の個人用聖遺物容器であったことが理解され、さらに収められているのが一連の受難の聖遺物であるという事実や、同時代の他の作例との比較から、兄のシャルル5世が弟に王権の分与を目論みて贈与したものと捉えることが妥当であると思われる。
本研究をさらに推し進めるために行った本年の研究活動を以下に報告する。第一には、文献の博捜とその読解、研究成果への反映である。第二に、二度の欧州での研究滞在中に作品実見調査と一次史料調査を行い、《リブレット》に用いられた素材と、制作のための技術についての新たな情報を得ることができた。また類例作品の銘文の読解から、本作に含まれている更なる聖遺物についての情報を得ることが可能となった。第三に、国際美術史学会(CIHA FLORENCE 2019 MOTION: TRANSFORMATION)において研究発表を行い、各国の研究者からフィードバックを得ることができた(Izumi Florence OTA, French Royal Reliquary with the Image of the Arma Christi, the So-Called Libretto.)。第四に、類例の更なる収集を行うことにより、本作にも見られる「極小化」への嗜好、傾向の新たな論点が浮かび上がり、本作が制作されて以後の君侯のコレクションに見られる他のメディアの作例へ繋がる歴史的展開の道筋が仮説として浮かび上がった。以上は博士論文に組み込み、来年度中の提出を目指すものである。
3、今後の課題・見通し
本研究を遂行する過程で、《リブレット》の聖遺物容器としての特殊性が判明した。本作は、聖遺物容器として個人的祈念に資するという宗教的性格を有しながらも、王権の分与としての世俗的性格も有しており、王侯貴族のコレクションに含まれる聖遺物容器などの宗教的性格を帯びたものが、単純に宗教的な目的の下に制作されたものではなく、その所有者あるいは制作に関わった人間の権力とも深く関連付けられているという一例となっている。この点に関してさらなる研究を推し進めてゆくために、シャルル5世とその兄弟らのコレクションだけではなく、同時代の他の君侯にコレクションされた宝物作品にも射程を広げ、それぞれの宮廷での金細工作品の制作の諸相を確認するとともに、ビザンティン帝国に起源を持つ作例が、西欧においてどのようにカスタマイズされたのかについて明らかにするとともに、世俗君主のコレクションにおける聖俗混淆の諸相を浮かび上がらせる必要がある。
2020年5月