成果報告
2018年度
国内統治の観点から見た近代中国外交のはじまり
- 日本国際問題研究所 研究員
- 早丸 一真
2017、2018年度の「若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)」の成果として、「一八六〇年代初頭における天朝の定制と外政機構の変動─中国近代外交形成論批判」(『国際政治』197号〈国際政治と中国〉、2019年9月、10-25頁)を公刊することができた。
上述の拙稿の概要については、次のとおりである。近代の中国外交をめぐる研究は、当初中国側の史料が利用できなかったため、外国側の史料に依拠した中国をめぐる国際政治史研究としてスタートした。1930年前後に1830年代半ばから1870年代半ばまでをカバーする中国側の史料『籌辦夷務始末』が利用できるようになり、中国の立場から見た中国外交史研究が可能となった。しかしながら、国際政治史やヨーロッパ近代史の研究から出発し、外国側の外交文書の取り扱いに精通していた研究者らが『夷務始末』から読み取ろうとした近代外交の文脈と、19世紀の清の官僚たちが『夷務始末』の中に書き込もうとした天朝定制の実像との間に分岐が生じることとなった。
1861年に設立された総理衙門は、近代的な外務省とは言えないまでも、ある時期においては清の外政の中心であったと位置づけられ、多くの研究者の注目を集めてきた。しかしながら、後世の研究者が外政機構としての役割を明らかにすべく研究を重ねてきた一方で、清の官僚たちは当初から一貫して総理衙門が取り扱う業務を限定し、その規模と権限を縮小し、将来の廃止を目指していた。
こうした傾向は、1860年代初頭の通商大臣をめぐる議論にも見られる。例えば、曾国藩は、通商は徴税の問題と同じであるという立場から制度の構想を説き起こし、新たに設置される通商大臣の権限を骨抜きにし、実質的な通商の管理を地方行政の枠組みの中で処理するヴィジョンを打ち出している。
つまり、清側は外国事務を取り扱う機関を新たに設置する一方で、その業務の範囲を限定し、実体としての機構を縮小し、ゆくゆくは旧来の制度に戻すことを念頭に置いて新設機関の有名無実化を図っていたのである。19世紀半ばの清の制度変容をめぐる問題の核心は、清から見れば、何を変えようとしたかにあるのではなく、どこに戻そうとしたかにあるといえよう。
1860年代の清においては、太平天国・捻軍などの反乱とロシア・イギリスなどの外国は天朝にまつろわぬものたちという意味では同じカテゴリーの中の「異物」であった。『夷務始末』はこうした内乱と外敵が截然と分かたれていない、対外関係と国内問題を包括する視座から編纂された資料集であり、夷務を処理した当時の官僚たちは、まさにそのような視座を共有していた。
換言すれば、当時の清は、外交政策や対外政策という意味でのforeign policyではなく、版図の内側の異物対策としてのforeign policyを追求していたと考えられる。19世紀の中国近代外交のバランスの取れた理解のためには、これまでの中国をめぐる国際政治史及び中国の目線を重視する中国外交史の視点に加え、天朝定制から見た統治と行政という第三の視角も加味して、その実体を解明する必要があろう。
以上が論文にまとめた本研究の要旨であるが、残された課題もまた少なくない。19世紀後半の前近代的側面を強調すればするほど、「20世紀前半の近代外交への転換や変容の過程」にどのようにつながってゆくのかという説明を求められるのは必定である。だが、そもそも十分な検証を経ないまま、19世紀後半を20世紀前半に連結して近代を組み立てていたのではないか、という本研究の根源的視座は、論証の途上ではあるものの、他方で当時の実態に迫る道筋を照らし始めたのではないかと思われる。
長期的な観点から人間の政治的営為を顧みれば、叡智や英断や刷新の出番の方が稀なのであって、常日頃は弥縫に弥縫を重ねながら乗り越えていくしかないというのが相場である。そして、弥縫を重ねるにも知恵がなくては立ちゆかず、そのために腐心し、工夫を重ね、職務を全うした者たちが時代をつくったのではなかったか。どうも19世紀後半を見ていると、その次の時代を準備した者たちが脚光を浴びており、まさにその時代を支えていた者たちが割を食っているのではないかと気の毒になる。
19世紀中葉以降、従順ならざる「奸民」と「外夷」と向き合いながら、夷務への対応に追われ、その中で現存する体制を守ろうとした官僚たちは、何を目指していたのか。近代的尺度から『夷務始末』の記録を見れば、当時の清が欧米の近代国家をモデルとした改革に本腰を入れていたようには見受けられない。だが、そうであるならば、まず明らかにされるべきは、彼らが修繕を厭わなかった既存の体制とはいかなるものであったのかという問題ではないだろうか。その全容を解明する研究に引き続き取り組みたい。
2020年5月