サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > 文化財建造物の建築年代を判定する指標としての近世大工の賃金に関する研究

研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2017年度

文化財建造物の建築年代を判定する指標としての近世大工の賃金に関する研究 ―宮大工の賃金変動理由の解明から―

京都府立大学大学院生命環境科学研究科 共同研究員
中西 大輔

動機・目的
 建造物の文化財調査を行なっていると大工賃金が記された帳簿や見積書、普請願書などの古文書を発見することがある。これらの帳簿などは写しや下書きなどが残っており、作成年代が不明な場合も多い。対応する詳細な史料が残っている場合を除き、これら古文書から建築履歴を明らかにするには曖昧な点が残る。このようなとき建築履歴を判定する方法の1つとして、大工賃金による指標を確立することが有効と考えられる。
 ただし、実際に支払われる大工への賃金がどのように変化したかはっきりしないため、このままでは調査で得られた大工賃金を利用できない。江戸時代の一般的な大工賃金については帳簿などがあまり残っておらず、江戸時代を通じた賃金変動の全貌を解明することは難しい。一方、商家や寺社など長期雇用の大工賃金は帳簿などがよく残っており、賃金変動を追いやすい。ただし、長期雇用時の賃金変動は一般的な変動よりも遅れうることが指摘されている。
 そこで、長期雇用の大工に支払われる賃金の変動が遅れる理由を解明することが必要となる。理由をもとに変動を補正することで、長期間の一般的な変動を復元することが可能となる。その結果、作成年代の不明な帳簿などについて大工賃金から作成年代を絞りこむことで、建築時期が特定できるようになる。
 本研究では江戸時代における上賀茂神社(京都市)の宮大工をとりあげた。同社所蔵の日記は神社運営のためのもので、宮大工との賃金交渉なども記録されている。この日記の調査から、宮大工の賃金変動が遅れる理由を明らかにした。そして、京都、畿内の一般的な賃金変動を得ることを試みた。

成果・知見
 上賀茂神社の大工に支払われた賃金は下表のように変動していった。寛文年間に銀で支払われるようになった賃金は単調に増加し、享保5年(1720)以降は幕末まで一定であった。ただし、食費分に限ると一時的に0.5匁上がったのみで、その他の期間は一定して1匁であった。食費分が一時的に上昇している時期は米価の高い期間に相当する。

変動年月賃金(( )内は食費を含む)通達に対する申請年月
寛文年間銀2匁(3匁)不明
正徳3年(1713)4月銀2.5匁(4匁)正徳3年(1713)1月
享保5年(1720)2月銀2.8匁(4.3匁)なし
享保5年(1720)8月銀3.3匁(4.3匁)享保4年(1719)12月

 変動は宮大工が上賀茂神社に申請することによって起こった。宮大工へは大工の同業者組織で協定賃金が決まったときに通達があった。この通達を受けて宮大工は上賀茂神社へ報告・申請した。ただし、申請をしても施主である上賀茂神社の意向によって賃金変動が延期されたり、増加量が抑えられたりすることもあった。そのため、同業者組織による協定賃金は、額面通りには実施されなかったといえる。また、職人側の申請がなく変動が遅れることもあった。さらに、享保5年(1720)2月のように、同業者組織による協定賃金の改定とは無関係に上賀茂神社の宮大工が独自に賃金増額を願い出る場合もあった。
 上記の結果を上賀茂神社に残る作成年不明の見積書に適用してみる。この見積書は、記載内容から、申年の末社社殿修理に際して作成されたものであることがわかる。このなかに大工14人の賃金として56匁が計上されている。1人あたりに換算すると大工の賃金は4匁/人となる。大工の賃金が4匁/人であったのは正徳3年(1713)から享保5年(1720)までの間である。この期間で申年は享保元年(1716)のみである。したがって、この見積書は享保元年(1716)のものであることがわかる。
 以上のように、賃金の変動データーを得ることは、記録に残されていない建築履歴を知ることにもつながりうるのである。上記末社の事例では、享保元年(1716)にも同末社の修理が行なわれていたことがわかった。これは日記からはまだ発見できていない修理履歴である。

今後の課題・見通し
 実際に支払われる賃金という点から今後詳しく検討する必要がある。本研究によって、賃金変動は個別事情によって遅れうることがわかった。大工が借金をしている場合には、返済のため上賀茂神社公定の賃金から天引きが行なわれた可能性などがある。このような個別事例の検討を進める。
 さらに、事例を増やしていくことで賃金による建築年代判定の精度を高めていく必要がある。今回は当初の目的である一般的な変動時期は明らかになったが、実施時期などがずれることも明らかになった。実際には各雇用者の意向で遅れる。そのため、作成年月日不明の帳簿などを検討する場合、本研究の成果では多少のずれが生じる。正確な建築履歴を知るには個別事情の検討が必要となる。
 このほか、中間報告会において宮本又郎先生にご教示いただいた「係数」などをはじめとした各先生方のご指摘についても今後検討を進めていきたい。

 

2019年5月

サントリー文化財団