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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2017年度

脳内潜在知識システムに基づく西洋音楽史の考察:ヒトの音楽性の進化過程解明に向けて

日本学術振興会 海外特別研究員(受入機関:マックスプランク認知神経科学研究所)
大黒 達也

動機
 音楽表現は、作曲者毎に個性や癖が生じる。この個性を客観的に評価する方法については、文化や法則性を通して様々な分野で研究されている。近年では、このような特徴を人工知能で抽出し、特定の作者に似た作品を自動生成する技術も開発されている(申請者国際特許:US20190189100)
 このような音楽情報は物理的法則を除けば、根本的に脳の創造物といえる。ヒトは、知識や経験から生ずる思考や感情を表現する手段の一つとして言語や音楽を用い、あらゆる文化を創造してきたと考えられる。つまり、音楽情報に内在する特徴は、思考や感情、そして学習に伴う脳の意思決定や実行機能システムの個性とも捉えることができる。しかしながら、これまでの音楽理論や音楽史の研究において、ヒトの脳の学習・記憶システムを主眼においた検証は報告されていない。その理由の一つとして、神経心理学領域の学習・記憶研究と、音楽学領域の音楽史や構造的音楽理論研究は、本来別分野であり、各々特別な専門知識が必要であるからと考えられる。

目的
 本研究では、脳の潜在記憶システムに基づいて、千以上の楽譜から曲に埋め込まれている作曲家の潜在記憶を全て抽出し、曲毎、作曲家毎にモデル化することに挑戦する。そして、抽出された情報に対して、曲間・作曲家間の相関性を検証し、音楽の潜在記憶が誰の曲やどのような情報に影響を受けて変遷していくのかを明らかにしていく。
 さらに、原始的な潜在記憶から、どのように複雑な構造的音楽理論が体系付けられたのかを理解し、ヒト脳の音楽性の進化過程を明らかにする。ヒトの潜在記憶システムという新しい視点に立って西洋音楽史を検証していくことで、これまで解明できなかった様々な問題に答えていく。また、その解析法を体系づけることで音楽理論に依存した音楽教育・楽譜解析法ではなく、脳科学的な音楽教育・楽譜解析法に活用し、国際特許取得を目指す。

図1
図1.作品の統計分布の主成分分析による個性抽出。作者毎に記号で表す。

方法
 ・研究1(楽譜解析法開発):心理学・神経生理学分野で主張されている潜在記憶システムに基づいて1、千以上の楽譜から音楽家の学習モデルを作成する。曲間・作曲家間の潜在記憶の相関性を検証する。
 ・研究2(音楽教育法開発):学習モデルから実際に作曲をシミュレーションし、ヒトの音楽学習発達過程を明らかにする。そして、現存する音楽理論に依存しない、脳科学的に最適な音楽教育法を考案する。
 ・研究3(音楽性の進化過程の解明):音楽を音楽として認知できない失音楽症と健常者の、音楽潜在記憶獲得過程の違いを検証し、ヒト脳の音楽性の発達的起源とその進化過程を明らかにする。

知見
 ベートーベンが生涯作曲した曲から潜在記憶モデルを作成した結果、作曲の個性の時系列変化が観測できた2。また、バッハの平均律クラヴィーア曲集を全曲解析した結果、近親調ほどモデルが似ていることがわかった。さらに、著名なジャズ演奏家の即興演奏を解析した結果、それぞれの個性が抽出できることがわかった(図1)1,3。一方、スペイン、ドイツ、日本、韓国の子供の歌全500曲を解析し、国ごとのモデルの関係性を解析した結果、全ての国同士で、モデルが似ていることがわかった。

図2
図2. 演奏中の脳波計測

今後の展望
 これらの結果を基に現在、音楽教育への応用へ展開している(図2)。神経生理計測と人工知能技術を用いた統合的アプローチにより、創造性の個性抽出を利用したbrain-computer interfaceの開発、それを用いた音楽の芸術的才能発掘、さらに発達障害・学習障害支援等の臨床医学的アプローチ法の開発に繋げていく。そして、新しい視点から音楽を捉え、作曲家の潜在心理に関連した新しい学問的地平を切り拓き、音楽の発展に寄与する。これまで、多く行われてきた数的・物理的法則に基づく音楽理論からのアプローチではなく、作曲家の潜在心理に関連した新しい視点からのアプローチにより、学際的かつ社会的に広がりのある、新しい学問的地平を切り拓いていく。

参考文献
[1]Daikoku, T.: Entropy, uncertainty, and the depth of implicit knowledge on musical creativity: Computational study of improvisation in melody and rhythm. Frontiers in Computational Neuroscience 12, 97 (2018)
[2]Daikoku, T.: Time-course variation of statistics embedded in music: Corpus study on implicit learning and knowledge. PLoS One 13 (5), e0196493 (2018)
[3]Daikoku, T.: Musical creativity and depth of implicit knowledge: Spectral and temporal individualities in improvisation. Frontiers in Computational Neuroscience 12, 89 (2018).

 

2019年5月

※現職:ケンブリッジ大学教育神経科学センター 研究員

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