成果報告
2017年度
幕末維新期日露関係に関する研究―ロシア国立海軍文書館所蔵史料の活用―
- 大阪大学大学院法学研究科 助教
- 醍醐 龍馬
研究の動機・目的
従来、我が国における日露関係史研究は、他のテーマを専門にするロシア史家により「副業」的に扱われがちな分野であった。とりわけ、シベリア鉄道が未開通でロシアの極東政策が本格化していない日露戦争以前の日露関係は、ロシア史からの注目度は必ずしも高くない。しかし、日本政治外交史としては開国の文脈や領土問題などで、当該期の日露関係により大きな重要性がある。このような状況下で報告者は、近年公開が進み始めているロシア側史料も交え日露関係の解明に取り組むことに意義を見出した。既に、幕末から明治に持ち越された雑居地樺太をめぐる日露領土問題(樺太問題)が樺太千島交換条約により解決される過程に焦点を当て、その背景に日露双方を取り巻く多面的な国際情勢の変化や、維新直後の不穏な日本国内の状況が複雑に絡み合っていた諸事情を解明してきた。このような関心を引き継いだ本研究では、雑居地の実態そのものに着眼し、日露交渉に影響を与えた現地情勢の悪化がいかなる背景から起きたのかを追究した。
研究の方法・意義
従来の研究では、1867年に樺太の雑居地化を完成させた樺太島仮規則が、樺太問題の転機として強調されてきた。これに対し本研究では、ロシア軍が実際に樺太で実効支配を進めたのが、戊辰戦争の時期とも重なっていることに着目しながら、現地情勢悪化の背景を再検討した。その際には、ロシア国立海軍文書館所蔵史料をはじめとするロシア側の新史料と日英の史料を組み合わせることで、日露双方の視点から、かつ英露対立の構造の中で日露関係を捉えることも目指した。このように現地情勢悪化の背景を国内外の政治状況と絡め明らかにすることは、維新後の日本外交に影響を与えた駐日英国公使パークスの樺太放棄論の背景を解明し、樺太千島交換条約への流れの中に現地情勢の転換点を位置づけることに繋がる。
研究成果
第一に、樺太島仮規則の影響を示した。幕末の樺太では、樺太島仮規則により日露双方が従来の慣習にとらわれず全島を往来できる状況下にあり、植民競争では「仮」の解釈が齟齬するまま物量に勝るロシア側に有利な情勢となっていた。ロシアはイギリスとの対抗上樺太全島を欲し、逆にイギリスは東アジアでのロシアの南進を恐れていた。そのため、仮規則調印の報に接した駐日英国公使パークスは植民競争に関して日本側に期待した。このように仮規則直後の時点では、植民競争が日露いずれに有利に働くか必ずしも決定的にはなってはいなかった。
第二に、戊辰戦争中の北方地域が置かれた状況を明らかにした。旧幕府に好意的中立の立場を採っていたロシアは、新政府が国内の混乱にも拘らず樺太への植民を始めると、その背後にイギリスの存在を疑い対抗措置を講じた。他方でパークスは樺太島仮規則がある以上ロシアによる樺太全島領有を黙認するようになり、蝦夷地への南進を警戒した。旧幕府軍が蝦夷地を占領すると、戊辰戦争期の北方地域はロシアと新政府、旧幕府の三つ巴の様相を呈した。
第三に、樺太問題と箱館戦争の関係性を指摘した。新政府は戊辰戦争により樺太でロシアに南進する機会を与えかねないと危惧した。実際、樺太の新政府勢力は本州と分断され孤立状態になり、この隙を衝いたロシア側の南進に直面した。ロシア側はイギリスとは対照的に旧幕府に好意的な姿勢をとり、戊辰戦争の長期化を予想しながら植民攻勢を強めた。箱館戦争末期になると、ロシア側には仮規則を破棄しかねない新政府の勝利を危惧する見方も現れた。
第四に、箱館戦争中の樺太の現地情勢を仮規則と絡め明らかにした。箱館戦争中の樺太では旧幕府軍の侵攻を受けなかった一方で、ロシア側の南進に直面した。また、現地では新政府勢力が旧幕府の結んだ仮規則の無効を主張したため、事態は仮規則承認問題へと発展した。箱館戦争は樺太の現地情勢を日本側不利に陥らせた一方で、ロシア側の予想に反し内戦を早期に終結させたことで日本側は辛うじて樺太に踏み留まった。
以上のように、戊辰戦争期の日露関係は樺太問題に大きな転機をもたらした。まず、根本的な原因が戊辰戦争前年に結ばれた樺太島仮規則だった。そして、ロシアが仮規則の曖昧性を利用して南進を進めようとするとき、それを促進する好機として到来したのが戊辰戦争だったと言える。とりわけ箱館戦争は重要であり、新政府は樺太と本州を榎本武揚に分断されたことでロシアの南進に抵抗できなかった。もっとも、ロシア側としても中央アジア経営への出費増大から樺太への植民の余裕が十分なかったが、内戦中の日本側はそれ以上に手が回らなかった。新政府、旧幕府はともに蝦夷開拓の緊急性を認識していたにも拘わらず、互いが争っている間にロシアにその間隙を突かれたのである。
このような状況下で、新政府は駐日英国公使パークスに樺太領有の可能性を見限られ、旧政権が結んだ条約は国際法上継承すべきと諭される。戊辰戦争以前は植民競争によるロシアへの対抗を勧めていたパークスだが、現地情勢の悪化を受け北海道死守のため樺太放棄論を説くようになり、国内でも黒田清隆らがこれに共鳴していく。このように戊辰戦争が樺太問題で日本側が追い込まれる大きな契機になった一方で、新政府はこの内戦を早期終結させたことによりロシアと領土交渉する余地を残すことになる。
以上の研究成果は、「戊辰戦争期日露関係と樺太―雑居地をめぐる植民競争―」『東アジア近代史』第23号、2019として発表した。
2019年5月
現職:小樽商科大学商学部 准教授