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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2017年度

18世紀および19世紀初頭フランスにおける味覚の探究―グリモ・ド・ラ・レニエールの美食言説を中心として―

トゥール大学大学院人間社会科学部 博士課程
齋藤 由佳

研究の目的と意義
 本研究の目的は、グリモ・ド・ラ・レニエール(1758-1837)のテクストにおける味覚の感性を探究することを通して、18世紀および19世紀初頭のフランスにおける味覚の感受性の変化を明らかにすることである。グリモは『美食家年鑑』(全8巻、1803-1812)と『招待主の手引き』(1808)を著し、フランスの美食批評や美食ガイドブックの祖と呼ばれている。裕福な徴税請負人と貴族出身の母の間に生まれたグリモは、アンシャン・レジーム期の貴族の美食文化に精通していた。フランス革命後、貴族にかわって美食を享受する立場となった新興富裕層に「賢明な味覚」を授けることを目的として執筆された彼の著作は、パリのレストランや高級食料品店の食材の評価や食卓作法を示し、新たな食べ手たちの指南書となった。食べたものの味を評価し、言葉で伝えるという営みは、当時は画期的なことであった。グリモは、18世紀に絵画や演劇などの芸術の分野において盛んになった批評という営みを食の世界に持ち込み、「味わうこと」や「味について語ること」の新しい形を生み出したのである。本研究は、グリモのテクスト全体においてどのような味覚の感性が立ち現れているのか、それは周辺の時代の他の言説や感性とどのような関係にあるのかを調べる。グリモのテクストを軸としつつ最終的には、18世紀から19世紀初頭のフランスにおける味覚をめぐる言葉と感性のあり方を浮かび上がらせるとともに、今日のミシュランガイドへとつながる美食批評の伝統がどのような文化的背景のもとで生み出されたのかを解明することを目指す。
 本研究の背景には、感性史と食文化史という二つの歴史学研究の流れがある。20世紀後半以降の西洋史では、政治や経済のような大きな枠組みや重大な「出来事」だけでなく、過去の人々の心性や感覚を研究対象とする感性史という分野が発展してきた。しかし視覚的、聴覚的、嗅覚的感性が研究の俎上に上がってきたのに対して、味覚の感性はいまだ研究されていない。したがって過去における味覚の探究というテーマは、この分野において斬新な取り組みである。また食文化史においては、これまで過去の人々が「何を食べたか」に主要な関心が向けられてきた。本研究は人々が「何を食べたか」ということのみならず、それらを「どう味わったか」を知ろうとするものであり、食のより感性的な面に光を当てる。よって本研究は、感性史と食文化史という二つの領域のいずれに照らしてもチャレンジングな問いを投げかけるものである。

研究の方法と得られた知見
 過去の人々がどのような味覚をもって「食べる」「味わう」という行為を営んだかを知るには、食材やレシピを調べるだけでは不十分である。そこで本研究では、味や味覚を言い表す「言葉」に着目する。まず分析の基礎として、グリモがその著作のなかで味や味覚を表現するために用いた語彙のデータベースを作成した。このデータをもとに、言葉の背後にあるグリモの食における価値観や味覚の全体像を探るとともに、18世紀から19世紀初頭の料理書、作法書、芸術批評といった他の言説との比較分析を行った。
 この語彙統計に基づいた分析から、グリモの美食批評における語彙と18世紀の芸術批評の語彙の類似性が明らかになった。グリモが料理や食材を評価する際に用いる語彙のうち、「神聖なほど素晴らしいdivin」「甘美なsuave」「言い得ぬほど素晴らしいindicible」などの極めて高度な出来を表現する語彙は、当時の料理書や作法書には見られず、芸術批評から持ち込まれた語彙である。グリモはあたかも芸術作品を鑑賞するかのように料理や食材を味わい、それまでになかった豊富な語彙を用いて味覚を表現したのである。このことは味覚という感覚の歴史において画期的であった。なぜなら近世フランスでは、味覚は人を食の快楽へと誘い、堕落させる、五感のなかでも危険で動物的な感覚とされ、知的さや高貴さとは対極にあるものと考えられていたからである。グリモはそれとは反対に、食べ味わう行為を芸術や科学に類する知的な行為として位置づけ、批評や文学の対象として扱った。この態度はグリモ以降の美食文学や美食批評と呼ばれるジャンルにおいて共有されるものとなる。いわばグリモは、フランスにおける「味覚」に対する認識の転換点となったのである。
 またこの分析から、身体への感受性の変化と、味覚における嗜好の関連性も見出された。例えば「太った身体」は、17世紀までは富と権力の象徴でありかつ美しいものであると捉えられていたが、18世紀を通して徐々にその価値観は変容し、むしろ運動によって引き締められた身体が有能さのイメージと結びつけられていく。同時に、18世紀初頭の料理書では「脂の乗った肉」が常に美味とされているのに対し、グリモのテクストにおいては必ずしもそうとは限らず、「脂の乗りすぎた肉」といった、脂への否定的な感性を示す表現が現れる。このように、食材の味への感受性と人間の身体のイメージや価値観には連動する部分を指摘することができる。

今後の課題と展望
 本助成期間中に行った語彙統計のデータベースや収集した一次史料の分析をさらに進めることで、革命の前後という変動の時代における人々の食における価値観の変容をより詳しく解明していくことが必要である。今後の研究を通して、後の市民社会における人々の食をめぐるふるまいや特定の社会における味覚の形成要因について理解するための文化史的アプローチを提示することが可能となるだろう。

 

2019年5月

※現職:アンジェ大学大学院社会・歴史・地理学科 博士課程

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