成果報告
2017年度
水に集うものたち:西欧初期中世に於ける「生命の泉」の表象をめぐって
- 東京藝術大学美術学部 教育研究助手
- 安藤 さやか
研究目的
本研究は、水という変幻自在な無形の自然物が、西欧初期中世のキリスト教美術に於いていかなる意味を持ち、どのように表され発展・伝播していったのかを、「生命の泉 fons vitae」と呼ばれる図像を例にとって明らかにしようとするものである。
研究概要・動機
水は、川や水源という形で、旧約・新約聖書に於いて洗礼や生命の象徴として言及される(『詩編』41 編 2 節;『ヨハネによる福音書』4 章 13–14 節;『ヨハネの黙示録』22章1節、他)。この水に関わる章句はそれぞれ、永遠の生命や精霊、信仰の象徴とされた、孔雀、鳩、鹿等の動物が、水を象徴するモティーフのまわりに集まる図像によって、初期キリスト教美術で頻繁に視覚化された。特にこれがよく表されたのは、カタコンベの壁画や石棺彫刻等の葬祭美術や、洗礼堂装飾や聖体容器といった洗礼に関わる場である。
今日「生命の泉」と呼ばれるこれらの図像は、古代末期以降、以下の2種類を基本形として発展する。即ち、①洗礼堂を模した建築物に種々の動物が集う形式(図1)、②盃の左右に一種の動物が配され、時にそこから植物が萌え出る形式(図2)である。キリスト教公認後間もない頃から登場したこの図像は、都市ローマ中心部から、ダルマティアやカルタゴ等を含む古代ローマ帝国属州地域まで、広範囲に及ぶ地域で観察されるが、民族移動を経てカロリング朝が大帝国を築き上げる9世紀初頭には、地中海沿岸地域からアルプス以北まで伝播したようだ。
W. v. Reybekiel (1934) 以降、T. Velmans (1969) や E. P. Wipfler (2014) 等によってこの図像の年代を追った発展史が説明されてきた。しかし、古代末期の地中海沿岸地域を中心に普及していた図像が、どのようにしてアルプス以北に知られるようになったのかという、この地域的な広がりの要因は明らかにされていない。従って、この図像の発展史をなぞる上では、そもそもどのように多地域に伝播されたのかという地域横断的観点を視野に入れることが不可欠である。
研究方法・意義
「生命の泉」図像の発展と伝播の過程を辿るには、まず多地域に遍在する作例を網羅的に拾い上げる必要がある。そこで筆者は、古代末期からカロリング朝期までのカタコンベ、墓碑、洗礼堂装飾、写本画等に見られる、上記①、②の2つの基本形と認定できる図像のうち、洗礼や生命に関する場(洗礼堂、葬祭美術など)に表されているものの目録化を試みた。媒体や地域の壁を超えたテーマ型の基礎資料は、今後この「生命の泉」に類する図像だけでなく、初期キリスト教美術に於ける象徴的図像全般を扱う際にも参照可能な土台となる筈である。
成果と今後の課題
該当作例が多地域に広く存在する為、目録化の作業は単年度では完結しないが、これまでの取り組みから、図像の発展と伝播の道筋として以下の3つが浮かび上がった。即ち、①「生命の泉」図像成立に於ける古代異教図像からの借用、②構図が類似する動物文装飾等と混合しながらの発展、③アルプス以北への伝播経路の候補としての、トリーアやヴィエンヌ等、古代ローマの植民都市である。①、②については、古代末期から初期中世の類似作例を多く収集し、構図や制作された文脈も含めて比較検討する必要がある。③に関しては、目録化の作業を進める中で、「生命の泉」図像が集中して多く観察される地域に注目し、歴史学や考古学の専門家に助言を求めていく。特に、装飾模様と混じり合いながら図像が形を変え浸透していったのではないかというのが、これまでの研究にない筆者の新たな考えであり、今後はキリスト教主題に留まらず、より広い視座から作例の収集と分析を進めていきたい。
2019年5月