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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2017年度

前近代日本=カンボジア間交流史の構築:出土陶磁器と日本=カンボジア往復書簡に基づく歴史・考古学研究

早稲田大学文学学術院 准教授
田畑 幸嗣

【研究の目的】

本研究は、新資料に基づく日本=カンボジア間交流・交易史の構築を目的とする2カ年プロジェクトである。日本=カンボジア往復書簡や碑文、日本出土クメール陶器、カンボジアおよびラオス出土日本産陶磁器などに基づき、16~18世紀における日本=カンボジア間の交易体制、交易品の産地や年代、交易ルートを検討することにより、両者の交流・交易の歴史的動態を解明したい。

申請者および共同研究者によるこれまでの調査によって、17世紀代の日本産陶磁器がカンボジア、ラオスで出土し、また日本でも16世紀代のクメール陶器(生産地はカンボジアかラオス南部)が鹿児島県で出土することが明らかとなってきている。また近年ではカンボジアと外交関係のあった大友氏関 連遺跡出土資料のなかにクメール陶器が含まれる可能性が非常に高いことが指摘されている。さらに、これまで解読不能とされてきた日本伝来の18世紀クメール語書簡が解読可能であることが明らかになっている。

こうした個々の史資料を交流・交易史研究にまで昇華させるため、考古学と文献史学での国際的な枠組みでの学際的合同調査が要求されている。そこで本研究では、各地域・分野の研究者による合同現地調査(史資料検討)行う。

調査成果

文献調査担当の北川は、資料の読解を継続しておこなっている。当該資料は、東京大学史料編纂所所蔵の近藤重蔵関係資料である。なかでも新たに読解可能となったものは、タイ湾沿岸のハーティエンから1742年に送られてきた書簡がもとになっている。オリジナルの書簡ではなく、蝦夷地探検で有名な近藤重蔵が、探検以前に奉行出役として長崎に滞在中(1795̶97年)に作成した写しである。

当初は日本で作成されたため、クメール語文として読解不能なのではと考えられていたが、北川の調査により、極めて正確な文章であり、今のところ碑刻文以外では最古のクメール語文章であることが判明した。この書簡の大意は、かつて日本とカンボジアの間では盛んに交易が行われていたが、カンボジア句構内の情勢が悪化し、交易が途絶えたこと、日本からの「特別のお言葉」(信牌、長崎通商照票を指すと思われる)によって交易が復活したにもかかわらず、1736年にはカンボジアの国内情勢の再悪化にともない交易が途絶したこと、1740年代に再度日本との交易を要請していること、である。

こうした書簡類の解読から、往時のカンボジア国内情勢、日本向け国書の体裁、カンボジアが日本をどのように見、日本との通交に何を期待していたのかが読み取れよう。

考古学調査では、①日本出土クメール陶器資料・カンボジア出土日本産陶磁器資料の確認調査、②日本出土資料の生産地調査、③ラオスでのクメール陶器・日本産陶磁器資料調査、を平行して実施している。

まず日本出土クメール陶器であるが、首里城京ノ内地点出土東南アジア産陶磁器で、報告書ではタイ産とされていたもののなかに、クメール陶器が含まれていることが確実となった。これは大型の黒褐釉甕であり、鹿児島県(奄美大島)の屋鈍遺跡から出土したクメール陶器と考えられる黒褐釉小壺とは器種が異なる。京ノ内の年代は15世紀中葉から16世紀と考えられているため、近藤重蔵関連史料の述べる18世紀とは時代が離れるが、書簡の述べる「かつて盛んに交易が行われていた」時代に、クメール陶器も移動していたことは間違いないだろう。琉球王国の版図だけでなく、今後予定されている大友氏関連遺跡出土資料からクメール陶器が検出できれば、より具体的な交易品、ルートの推定が可能となろう。

また、こうした日本出土クメール陶器の産地をさぐるべく、カンボジア・ラオスでのクメール陶器窯跡調査をおこなっている。ラオスでの調査は継続中であるが、カンボジアでは、アンコール遺跡の東方に広がるクメール黒褐釉陶器窯跡群と出土資料調査を行い、ヴィール・コック・トレア窯跡出土資料が、首里城出土資料と同類であることが判明した。産地同定が可能となったことは、本研究の大きな成果のひとつとなろう。

ラオスでの調査では、ラオス出土日本産陶器は基本的にクメールの版図外である北部のヴィエンチャンでのみ出土するため、非常に重要な資料ではあるものの、今回の研究の直接の対象とはせず、ラオスにおけるクメール黒褐釉陶器生産の可能性をさぐる調査を3月に実施した。残念ながら、窯体は発見できなかったものの、豊富なクメール陶器資料を入手し、今後の基礎資料を構築することができた。

カンボジア出土日本産陶磁器資料については、16~17世紀のカンボジアの首都であった、ウドン・ロンヴェーク地域(含む日本人町)の調査を行い、日本人町跡の直接の検出には至らなかったものの、17世紀後半に位置づけられる肥前磁器(いわゆる伊万里焼)の出土を確認できている。また、アンコール地域でも調査を行っているが、アンコール遺跡からも肥前磁器が出土することが判明し、またアンコール地域の市街区でも道路工事中に多量の肥前磁器が出土している。アンコール地域は、ウドン・ロンヴェーク地域の日本人町とならんで、日本人切支丹が居住していたことが文献調査から確認されているため、カンボジア国内での肥前磁器の流通には、日本人切支丹が関与していた可能性が浮上しており、本研究での新たな課題となりそうである。

とくに、ロンヴェーク出土日本産陶磁器については、輸出用雑器ではなく、高級磁器が出土しており、考古・文献の両面から、これまでの日本=東南アジア諸国の交易体制理解とは異なる交易体制を想定することができよう。

【今後の展望】

継続して調査を実施するとともに、2019年度末には本研究テーマに基づいた国際シンポジウムを開催する予定である。

2018年8月

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