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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2017年度

多民族化が進むEU国境地域における持続可能な社会への課題

東京学芸大学教育学部 教授
加賀美 雅弘

EU(欧州連合)において国境を越えた人の移動の自由化が進むにつれて,国境に接する地域(以下,EU国境地域)では多様な文化集団の共生が求められている。オーストリア最東端に位置するブルゲンラント州は,スロヴァキアとハンガリー,スロヴェニアに接するEU国境地域であり,ハンガリー人,クロアチア人,ロマが少数民族集団として居住しており,その社会的統合が課題とされている。そこで本研究は,EUによる国境開放と地域統合政策が進められる過程で,特に社会的に厳しい状況に置かれているロマに着目し,国境地域の社会の行方について検討することをめざした。ブルゲンラント州中部の小都市オーバーワートOberwartで実施した現地調査の結果は,以下の通りである。

1.得られた知見

ブルゲンラント州に居住するロマは,ブルゲンラント・ロマという多様なロマのサブグループの一つをなしている。ブルゲンラント・ロマは 15世紀頃以来この地に居住し,かご作りや鍛冶,刃物研ぎなどの技術をもっていたほか,楽器演奏や季節労働を収入源とする者も少なくなかった(Thurner et al,2015)。ローマ・カトリックを信仰し,オーバーワートをはじめ,州内約120の集落に比較的分散して居住してきた。その間,非差別集団として迫害の対象であり続け,特に1939年にはナチスによる収容所への強制連行が開始され,アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所で多くの犠牲者を出した。オーバーワートには戦前約300人のロマがいたが,ほぼ全員が収容所に拘禁され,戦後生還できたのはわずか14人だったという。1990年代末時点のブルゲンラント州のロマ人口は戦前よりも少ない約5千人と推定されている(金子,2005)。

戦後,ロマ差別が続く中,オーバーワートはロマ自身による権利と自由を求める運動の拠点となり,1989年に国内最初のロマの自助組織であるオーバーワート・ロマ協会が設立され,ロマの就業機会を増やし,生活改善を目指す活動が始まった。1993年にオーストリア政府により国内の少数民族集団として正式に認定されると,差別撲滅の運動はさらに活発になった。1999年にはブルゲンラント・ロマ市民大学がオーバーワートに開設され,ロマを支援する人材の育成とロマの伝統文化の維持などを主目的としつつ,強制収容所からの生還者の語りを聞く会なども催されている(加賀美,2017)。近年では,2013年には新しいロマ自助組織のカリカ協会が設立され,失業対策などロマの社会経済的支援がなされている。ロマ語による出版物の作成・発行も進めている。ロマ語は1990年代に文字化が進められ,ロマのアイデンティティ強化に向けて,その学習が重視されている。

このような自助組織の活動の成果は,すでに非ロマの人々のロマへの関心を徐々に高めるなど一定の成果を出している。しかしその一方で,国境開放に伴って安価な労働力が流入し,ロマの失業率が上昇する事態が生じており,大きな課題になっている。

2.今後の課題

今回の調査・研究によって,ロマの社会経済的状況を向上させるための活動が,自助団体の活動や政府・EUによる補助金によって一定の成果を出している一方で,国境を越えて流入する労働者によって労働市場から締め出され,競争に負けるケースが増えており,国境開放がロマにとって必ずしも望ましい状況をもたらしていない点が見えてきた。また,難民の流入が一般市民の外国人や少数民族集団への反発を招き,ロマへの態度を硬化させている点も見逃せない。今後はこれらの点を注視し,国境地域が直面する多文化共生の課題についてさらに取り組んでゆく予定である。

【文献】加賀美雅弘(2017):EU国境地域オーストリア・ブルゲンラント州の地域性―民族共生を踏まえた検討.学芸地理 73: 32-44.
金子マーティン(2005):ブルゲンラント・ロマ小史,加賀美雅弘編:『「ジプシー」と呼ばれた人々―東ヨーロッパ・ロマ民族の過去と現在』157-198.学文社.
Thurner, E., Hussl, E. and Eder-Jordan, B. ed. (2015): Roma und Travellers: Identitäten im Wandel. Innsbruck: Innsbruck Univ. Press.

2018年8月

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