成果報告
2017年度
冷戦下の文化的コンフリクトをめぐる環太平洋的研究-移動・マイノリティ・ジェンダー-
- 大阪大学大学院文学研究科 教授
- 宇野田 尚哉
2016年度に引き続き,2017年度も本助成を賜り,研究活動に取り組んだ。
本研究の出発点となっているのは,宇野田尚哉ほか編『「サークルの時代」を読む:戦後文化運動研究への招待』(影書房,2016年)である。朝鮮戦争期の社会的,文化的コンフリクトに注目することにより,無名の人びとによって生きられた冷戦経験の意味を明らかにしようとしたこの論文集は,その方法的視座において重要な問題提起をはらんでいた。本研究は,この問題提起を,時間的には朝鮮戦争期のみならずベトナム戦争期にも拡大適用することでより長い期間を視野に収めるとともに,空間的には北米‐日本‐東アジア(韓国)の連動とずれに着目することでトランスナショナルな視野を獲得しようと試みたものである。
冷戦はグローバルな構造である以上,冷戦構造下/局地的熱戦下における抑圧と抵抗もトランスナショナルな連動性を帯び国境を越えた移動をともなうことになるが,たとえば,ベトナム戦争下の脱走兵支援運動の支援を受けた脱走米兵と脱走韓国兵は異なる運命をたどり,この運動に関わった人々に複雑な思いを残すことになったという点からは,そこには連動性のみならずずれもはらまれていたこと,むしろそのずれにこそ生きられた冷戦経験の多様性や固有性があったことが理解される。本研究で試みたのは,そのような局面を多様なかたちで精査することであった。
「核」は,冷戦と関わる主要な問題系の1つであるが,本研究では,被爆体験の表象に注目することによりこの問題系にアプローチした。その際に手がかりとしたのは,人数の多さにもかかわらずアンダーリプリゼントされてきた朝鮮人被爆者・在韓被爆者の存在である。朝鮮人被爆者・在韓被爆者による/をめぐる表現に検討を加えることで,冷戦構造下で被爆体験をめぐる表象にはいかなる濃淡が施されてきたのかが明らかになるとともに,1960年代後半に彼らの存在が日本社会において認識されるようになる背景には,当該期におけるベトナム反戦運動の高揚やマイノリティの権利運動の高揚といったトランスナショナルな文脈があったこともあらためて確認された。
前年度から引き続いて行った在日文学を具体的手がかりとしての検討も,この論点と関わる。本研究では,1960年代後半の日本文壇において在日文学が浮上してくる裾野にある運動経験に光を当てたが,そこにおいても,この時期固有の上述したような文脈との連動が見出された。冷戦の経験を,国際政治からのトップダウンではなく,無名の人々によって生きられた社会的,文化的コンフリクトの経験から,ボトムアップで描きなおすには,当該期のトランスナショナルな文脈との連動性と,当該事例の固有性とを,丁寧に跡づけなおす必要があるといえる。
本研究の残された課題としては,副題に掲げたジェンダーの視点を深めることができなった点がまずは挙げられる。また,前年度以来の課題として,研究代表者が北米の研究者と交わしている対話と,韓国の研究者と交わしている対話とを,有機的に総合するための枠組を十分には構築できていないという点も挙げられよう。バイラテラルな共同研究の足し算ではない,マルチラテラルな共同研究としては,さらなる議論の深化が求められる。
2018年8月