サントリー文化財団

menu

サントリー文化財団トップ > 研究助成 > 助成先・報告一覧 > 20世紀後半のラテンアメリカ文学者による、日本古典文学の翻訳とその時代背景

研究助成

成果報告

2017年度

20世紀後半のラテンアメリカ文学者による、日本古典文学の翻訳とその時代背景

東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
マヌエル・アスアヘアラモ

研究の動機と意義
 私の専門分野は、翻訳論(トランスレーション・スターディーズ)の視点から見た、現代のラテンアメリカ文学を研究することである。学部生時代に比較文学を副専攻にしたことを出発点とし、私の研究関心は常にスペイン語圏と世界文学の関係に向いていた。
 2008年に留学で来日し、日本で日本文学を学び始めると、ラテンアメリカから見た<日本文学>と、日本で学んでいた<日本文学>のイメージの間に大きな差があるように感じ、少しずつ関心がその方向へと展開していった。そのため、私の修士論文は、現代日本とラテンアメリカの小説家を比較する内容となった。
 修士論文を書いていた頃、いくつかの研究資料には、ラテンアメリカの文学者たちが20世紀に日本文学に関心を持ち、日本文学をスペイン語に翻訳することにもしばしば挑戦したことが記されていた。遠いラテンアメリカで日本語の原文が読めなかった文学者たちが、どのように日本文学をスペイン語に訳したかという点は、あまり研究されていなかった問題であると同時に、スペイン語と日本語が読める私には非常に魅了的な研究テーマに感じた。
 したがって、博士課程に進学した2012年以降、私は20世紀においてラテンアメリカの文学者が日本の古典文学作品をスペイン語とポルトガル語に翻訳した現象に焦点を当て、日本古典文学からの翻訳作品の作成過程とその時代背景を明らかにすることを目指している。

研究目的
 2018年度の私の研究目的は、メキシコの詩人オクタビオ・パス、アルゼンチンの短編小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘス、そしてブラジルの詩人アロールド・ジ・カンポスによる翻訳作品に焦点を当て、ヨーロッパで書かれた日本文学の英訳や、仏訳、独訳などを参考にしながら、ラテンアメリカの文学者たちがどのようにラテンアメリカなりの日本文学のイメージを作り上げたかを明らかにすることである。具体的には、パスによる松尾芭蕉の『おくのほそ道』のスペイン語訳、ボルヘスによる清少納言の『枕草子』のスペイン語訳、そしてジ・カンポスによる世阿弥の『羽衣』のポルトガル語訳の執筆過程とその時代背景を明らかにすると同時に、それぞれの訳文の分析を行った。

研究成果・研究で得られた知見
 研究を行なった中で最も印象に残っているのは、20世紀後半のラテンアメリカ文学者が関わるいくつかのネットワークの中で日本文学が頻繁に言及されていることであり、作家たち同士のやりとりの中で作家ごとの<日本文学像>の変遷を確認できたことだった。私は以前、20世紀初期に明治時代の日本を訪れ、当時の東京の風景を描き出したグアテマラの詩人エンリケ・ゴメス・カリージョの活躍について、検討したのだが、改めて20世紀後半に日本文学作品の翻訳と普及に携わったラテンアメリカの作家達の経緯を体系的に検討してみると、20世紀初期のゴメス・カリージョと彼らの間の直接的な接点と、読書体験における共通点の多さに感銘を受けた。
 インターネットなどの高度な通信技術がなかった当時のラテンアメリカでは、海外文学と接触を持つためには作家と作家の間に国際的なネットワークが必要不可欠であり、日本に関心を示したこれらの作家たちの場合も例外ではなかった。日本文学をラテンアメリカに輸入する際のネットワークの軸と構成員をより正確に理解できたことが、本研究の大きな成果である。これらのネットワークは国内外に拠点を置いており、20世紀後半にラテンアメリカ文学が遂げた世界進出の背景にももちろん確認できるが、一方で、ラテンアメリカへ日本文学を輸入する際にもそれらのネットワークが大きな役割を担っていた。

今後の課題・見通し
 これからの研究課題としては、ボルヘスの翻訳作業をより深く検討し、彼のスペイン語訳の『枕草子』を、その底本の英訳とフランス訳と照合し、ボルヘスがいかにイギリスとフランスの日本文学観を自分の創作的な翻訳作品に取り入れたかについて、もう一歩進んだ考察を行う。そのため、現在その分析作業に取り掛かっており、この成果を博士論文としてまとめ、学術誌への投稿も視野に入れている。それ以降の研究方針として、視点を日本国内に切り替え、1970年代以降に日本に紹介されたラテンアメリカ文学作品とその翻訳について研究したいと思う。
 特に関心を持っているのは、1980年代のガルシア・マルケスのノーベル賞受賞を皮切りに日本で人気を博したラテンアメリカ文学の特徴と、それが形成した日本における<ラテンアメリカ文学像>の形成プロセスである。日本と中南米の文化・文学をこうした国際的な観点から考察することは、私の研究におけるアプローチの特色であり、2019年度内に提出する博士論文だけではなく、その後の研究にもそれを発揮できればと願っている。

2019年5月 ※現職:東洋大学生命科学部 非常勤講師

サントリー文化財団