成果報告
2017年度
19世紀末・20世紀初頭における『方丈記』の受容の研究
- 総合研究大学院大学国際日本研究専攻 大学院生後期課程
- プラダン ゴウランガ チャラン
本研究は、日本古典文学の国際的な展開を広い研究課題とし、この取り組みの第一歩として名作『方丈記』が19世紀末期から20世紀初頭まで欧米でいかに受容されたのかを明らかにすることを目指すものである。とりわけ、本作品の海外伝播において文豪夏目漱石が果たした役割に注目し、漱石が行った『方丈記』の最初の外国語訳を研究対象とした。具体的には、漱石が英訳した『方丈記』を分析し、英語圏におけるその受容を追究することによって、この作品は「国文学」の枠組みを超えていかに「世界文学」の仲間入りをしたのか、その詳細を明確にする。このような研究を通して、明治期という転換期において日本の古典文学はなぜ、どのように海外に展開したのかを『方丈記』の視点から考えてみる。
上記の研究に辿り着いた理由は、20世紀初期から現在に至るまでの日本文学の海外受容を知る上で、まず明治期に欧米で流通した日本文学の受容の詳細を把握しなければならないからである。つまり、日本文学の海外受容の現在を理解するためには、日本文学の海外流通の過去を把握する必要がある。にもかかわらず、明治期に古典文学を中心に欧米で流通した数多くの文学作品の受容に関しては、いくつかの名作を除けばほとんど知られていない。『方丈記』の場合は、これまで国内では多くの研究がなされてきたが、その多くはこの作品を「国文学」という枠組みに捉え、明治中期という早い時期に海外で読まれた日本の「世界文学」作品という観点からは注目されてこなかった。したがって上記のことがらを背景とし、本研究は明治中期という早い段階で海外へ紹介された『方丈記』の欧米における受容を研究することにした。
本研究では、上記目標を達成すべくこれまで以下の研究を実施してきた。
(1)まずは、漱石が『方丈記』を英訳する以前に、本作品に言及した欧文の文献を調査し、その内容を考察すると共に漱石はいかなる経緯でこの作品を英訳したのかを明らかにした。『方丈記』は、1874年に初めてアメリカの百科事典で言及されたが、漱石によるこの作品の英訳のきっけかは、彼の英文学の師であるJames Main Dixonらの依頼であった。既に西洋の隠遁習慣に関心を持っていたディクソンは、日本の隠遁文学の代表作として知られる『方丈記』について詳しく知るために、漱石にその英訳を依頼したのである。ディクソンから依頼を受けた漱石は、自身の文学思想を交えながら『方丈記』について短いエッセイを執筆し、本作品の部分的な英訳を完成させた。一方でディクソンは、漱石のエッセイと英訳をもとに新たな英訳を完成させ、鴨長明について論文も執筆して学会誌に掲載した。このような研究を通して、『方丈記』はいかなる経緯で海外に伝えられたのかを明らかにした。
(2)次に漱石の英訳に注目し、彼の『方丈記』解釈を明らかにしつつ、翻訳という行いに関する漱石の思想について考察を行った。ここで注目したのは、なぜ漱石が従来から仏教文学や隠遁文学、あるいは災害文学として捉えられてきた『方丈記』を西洋のロマン主義的な視点から解釈しなければならなかったのかという問題である。なお、漱石に英訳を依頼したディクソンの存在により漱石の『方丈記』理解はいかに形成されたのかについても考察を行った。さらに、漱石の翻訳思想に関する先行研究は乏しい中、『方丈記』英訳から見て取れる彼の翻訳に対する考えについても考察を行った。
(3)上記を踏まえた上で、次に漱石の『方丈記』英訳を契機に国際的な展開を遂げたこの作品の英米における流通を追究し、英語圏で本作品はいかに理解されたのかを明確にした。1890年代後半から1930年代までの英文資料で『方丈記』及び鴨長明を取り上げた著書や翻訳、記事などの内容を分析し、各者は置かれた歴史的な状況により影響を受けながらいかに漱石の解釈を継承したのかを明らかにした。とりわけ、1896年に米国で出版された書籍 “Sunrise Stories: A Glance at the Literature of Japan”に収録された『方丈記』に関する描写をはじめ、南方熊楠・Dickinsによる『方丈記』の英訳やF. Hadland Davis著 “Myths and Legends of Japan”にある鴨長明の評価、そして英詩人Basil Buntingによる英詩 “Chomei at Toyama”を研究対象にし、それぞれの『方丈記』理解はいかに漱石が提唱した解釈と類似しているのかについて検討を加えた。
上記研究を通して、これまで国内での受容のみが注目されてきた『方丈記』の英語圏における受容のありさまを明確にし、この作品の国際性という新たな側面を初めて解き明かした。2018年度には上述の研究成果をまとめ、学会誌に研究論文を投稿すると同時に、博士論文も完成させた。今後は、博士論文では含むことができなかった英語圏以外における『方丈記』の受容を中心に研究を継続してゆく。特に、英語圏とほぼ同時期にこの作品はフランス語やドイツ語にも翻訳され、両国で広く読まれていたため、その詳細を明らかにしていく。また、将来的には日本古典文学の国際的な展開を中心に研究を継続する考えである。
2019年5月 ※現職:国際日本文化研究センター 機関研究員