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研究助成

成果報告

2017年度

中国語歴史映画に見られる古建築に対する想像:『HERO』(2002年)とその周辺

東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員
趙 斉

研究の動機、意義、目的
 本研究は、建築学界以外の中国社会で形成された古建築イメージの解明を目的に、そのイメージの具現としての歴史映画における古建築の表象を考察したものである。1980年代以来の急激な経済成長と都市化により、古い風景が失われつつある中国では、1950年代にほぼ途絶えた建築の伝統への関心が再び高まっている。既往研究では、中国における建築の伝統に対する探求は、建築史学と建築設計からなる建築学界の中で完結していたかのように語られる。しかし実は、建築学界内の動きと同時に、建築学界外の社会の動きも、建築の伝統に対する探求に関与しており、そこでは建築史学と建築設計で提示されているものと異なる古建築イメージが構築され、共有されていると考えられる。建築学界外で形成された古建築イメージの様相を解明することによって、古建築を見る視点を、建築史学の学問より広げ、古建築の豊かな価値を示すことが可能になる。
 古建築イメージの具現として研究対象として取り上げることが可能なのは、絵画、文学、映画作品などにおける古建築の表象である。これらの中で、歴史映画における古建築の表象は、①建築史学者が制作にほとんど関与していない。②実際の建築体験と酷似している。③社会に対する広い影響力を持つという三つの特徴があるため、建築学界外における古建築イメージの考察に適していると考えられる。
 今回研究対象としたのは、2002年に公開された歴史映画『HERO(英雄)』における古建築の表象である。『HERO』は、中国大陸出身の監督によって制作された映画で、中国大陸で今なお続いている歴史映画ブームの火付け役と位置付けられている。舞台を紀元前3世紀の戦国末期にしているこの映画は、古建築の映像表現に多くの資金を費やした。この映画で見られる古建築の表象は、建築史学の研究成果から大きく乖離した部分が多い点で、それまでの大陸制作の歴史映画とは一線を画している。そのため、古建築に対する想像と呼んだ方が妥当と考えられる。本研究は、『HERO』の映像資料と制作背景に関する資料に基づき、古建築の表象の様相と制作意図を明らかにすることで、2000年代の中国社会で共有されていた古建築イメージの解明を目指した。


研究成果や研究で得られた知見
 本研究の結論は、主に以下3点にまとめられる。①『HERO』における古建築の表象は、独特な表現手法によって、古建築の美しさを作り出すことに重点が置かれており、建築史学の真実性が意図的に無視されている。②この点で、1949年以後の大陸の歴史映画における古建築表象の転換点として位置付けることができる。③『HERO』の古建築表象で見られる古建築の美しさは、統一される色彩と均質なテクスチャによるものである。このような古建築の美しさは、それまでの建築史学と中国の建築設計には見当たらないものであり、『HERO』と同時代の欧米の建築風潮に影響を受けた可能性が大きい。この3点の結論を得るために、具体的には、以下のステップを踏んで調査と分析を行った。
 1.1949年から2016年までの中国大陸の歴史映画の映像資料を調べ、同時代に建築史学の研究成果として公開された古建築情報と照らし合わせることによって、1949年から1990年代までの古建築の表象は、建築史学の古建築情報に近いものが多かったが、2000年代からのものは、建築史学の情報より、美しさを表すことが優先されるようになっている、ということが分かった。
 2.『HERO』と同じく秦王の暗殺をテーマに取り上げた大陸の歴史映画大作に『異聞 始皇帝刺殺(秦颂)』(1996年)と『始皇帝暗殺(荆轲刺秦王)』(1999年)がある。これら3本の映画における古建築表象と秦の古建築に関する建築史学研究(図1)を比較し、『始皇帝暗殺』と『異聞』の古建築表象には、秦の古建築に関する建築史学の成果が多く反映されていることが分かった。『HERO』の古建築表象では、『始皇帝暗殺』と『異聞』の古建築表象との繋がりも見て取れたが、極端に統一される色彩と均質なテクスチャによる古建築の美しさの強調が、それまでの歴史映画には見当たらない、『HERO』の古建築表象の独自性であると考えられる。この分析結果を『HERO』の制作者の言論と合わせて考察すると、古建築の美しさが意図的に強調されており、そのために、建築史学的な真実性がおろそかにされたことを明らかにした。


図1 秦咸阳宫の平面復元図。


 3.『HERO』における古建築表象の表現手法を、同時代の建築設計作品と照らし合わせ、その影響について分析した。1990年代の欧米の建築設計に、建築材料による均質なテクスチャの表現を重視する風潮が見られ、『HERO』の古建築の表現手法がそれに啓発された可能性もあることが分かった(図2−3)。また、『HERO』以後の中国建築界では、テクスチャを建築の伝統の主な表現手法と捉えることが流行するが、『HERO』における古建築の表象が、その流行の社会的な背景をなしていたことが考えられる(図4)。


図2 中国の建築界でよく知られているハノーヴァー万博スイス館(2000年)の木組み。


図3 『HERO』の美術監督によるセットの初期スケッチ。


図4 寧波美術館(2008)、中国の著名建築家王澍によるマテリアル重視の設計作品。


今後の課題・見通し
 これまでの自分の研究では、映画の中の古建築の表象を用いて、建築イメージが社会的に構築され共有された仕組みを分析する手法を模索した。今後は、建築文化の社会における形成と伝播を、大衆メディアに見られる建築の表象を通して、さらに総合的に考察する必要がある。素材は、映画に限らず、文学、絵画などに視野を広げる予定である。
2019年5月 ※現職:東京大学大学院工学系研究科 助教



図版出典
図1 陶复. 秦咸阳宫第一号遗址复原问题的初步探讨. 文物. 1976. 11. pp31-41.より。
図2 https://www.swissinfo.ch/より。
図3 霍廷霄, 唐琳娜.电影美什么.中国电影出版社. 2012. p10-11. より。
図4 城市行走编委会. 王澍建筑地图. 同济大学出版社. 2012. p123. より。

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